信長居館跡 織田信長公は1567年に現在の岐阜市に入られた、本拠地を愛知県の小牧市にある小牧山城より岐阜城に移しました。 お城と言うのを思い浮かべますと、江戸城のようにそこに城主が住んで奥には大奥などがあると思いがちですが、岐阜城の城の部分は居住地ではありません。 岐阜城というのは金華山全体を言い、居住地は金華山の麓です。 … [Read more...] about 歴史は変わる「信長公居館跡」
観光
中山道、谷汲・桑名分岐の宿場
中山道赤坂宿 赤坂宿は中山道江戸から数えて56番目の宿場で、現在は岐阜県大垣市ですが中心部より直線距離約4キロ北西に位置します。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠17軒の宿場です。 美濃赤坂は、杭瀬川の水運を利用した川港として、また、中山道と谷汲山華厳寺に到る谷汲街道への分岐地という交通の要所でもありました。 宿場の中心と … [Read more...] about 中山道、谷汲・桑名分岐の宿場
街道の近く、静かなる所
お茶屋屋敷跡 中山道美濃赤坂宿沿いの住宅地の中に閑静な場所がありました。 ここは、お茶屋屋敷跡といいます。 お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって休泊のため慶長9年(1604)に設けた専用の施設です。 設置は美濃国の諸大名に命じ、岐阜城の金華山山麓に存在した織田信長公の住居千畳敷御殿など61棟を移築させたそうです … [Read more...] about 街道の近く、静かなる所
影を慕いて
天台宗 不動院 … [Read more...] about 影を慕いて
結びの地、大垣
奥の細道むすびの地 芭蕉が大垣を訪れた第三回目がおくのほそ道の結びの地としてです。 「おくのほそ道」の中に、芭蕉と大垣の俳人たちの温かい心の交流が描かれています、そこには旅立ちの時の反俗的な心境とはまったく違って、人恋しさも感じられるものであるそうです。 それほど、芭蕉と大垣の俳人との間が温かであったものと思われます。 元禄 … [Read more...] about 結びの地、大垣