
八幡神社の創建時期は不明です、神社に伝わる釈迦如来像を表した金属製の懸仏の裏には、土岐氏が奉納した旨が墨書されており、室町時代以前には存在したと推測されています。

懸仏とは、丸い銅板などの上に神像や仏像を表したもので、神社や寺院のご神体・ご本尊をまつる内陣に懸けられていました。
八幡神社には、釈迦如来像を表した金属製の懸仏三面が伝えられています。

どの懸仏も保存状態がよく、裏に土岐氏が奉納した様子が墨書きされています。
これによって、八幡神社と美濃国守護土岐氏との間に深い関係のあったことが推測されます。
1つは直径34.5センチの大きさであり、第6代美濃国守護土岐頼益が応永10年(1403)頃奉納したものです。

2つは直径24センチの大きさで、第9代美濃国守護土岐政房が文亀3年(1503)8月15日に奉納したものです。
3つは直径24.5センチの大きさで、奉納者は不明ですが、笠町、銘と干支より天正14年(1586)木曽川の洪水による河道本流の移動により、その後の荒れ地開発と「かさ松」「笠町」の成立と八幡神社の笠町への勧請の時期が分かります。

笠松町指定文化財に八幡神社の時鐘があります、笠松町歴史民俗資料館保管。
この鐘は、高さ51センチ・口径34センチ・重さ13.5キログラムあり、鋳きあがりや音色ともに非常によく保存状態もよいものです。

また、鐘の平面には薬師如来の守り神十二神将のうち迷企羅大将と波夷羅大将との二体が彫刻されており、その彫刻の形状から見て原形は奈良、興福寺の木彫像のものとされています。
第3代加納城主奥平忠隆が寛永7年(1630)羽栗郡笠町の八幡神社を祝って奉納したことが記されています。
名鉄笠松駅より南へ5分くらいの位置です。

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