夜叉堂
夜叉堂は、神戸町にあるお堂です。
平安時代に実在したという夜叉姫とその父親である郡司安八太夫安次を祀っています、夜叉ヶ池伝説に深く関わります。
毎年8月16日には、例祭である夜叉龍神大祭が行なわれる。
夜叉堂の隣にある萬歳館には、夜叉姫・夜叉ヶ池の資料を展示しており、夜叉姫絵伝や夜叉ヶ池登山往程の図の他、日吉山王祭、善学院などの資料も展示しています。
日本信仰伝説で、全国に知られている夜叉ヶ池の霊神夜叉姫は、千年も昔平安朝の始め此の処に生まれました。
父は安八郡の郡司で安八太夫安次と言い、姫はその次女でした。
弘仁の年大旱魃に見舞われ大変な苦難をなめました。
姫は世の惨状を見るに忍びず、身は生贄となり民衆の災厄を救うと決心し、美濃の山奥越前との国境山頂幽玄の池(後に夜叉姫の名を取って夜叉ヶ池となる)に身を沈め、神に捧げ龍神と化し万民を厄難のどん底から救い出しました。
以来千年経った今日までも、姫の徳光は人々の上に幸福への有難い霊験を顕し下さったのであります。
姫の高い威光を仰ぎ神前に参り集う人は絶えません。と夜叉堂にある看板に書いてあります。
伝説の詳細には、郡司の安八太夫安次が道端にいた小さな蛇に、「もしそなたが雨を降らしてくれたなら、我が娘をやろう。」と語ったという。
この小蛇は揖斐川の上流に住む龍神であり、安次の夢枕に「その願いをかなえよう。」と告げ、その夜、大雨を降らせた。
安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女が、「村人を救っていただいたからには、喜んで嫁ぎます。」と、若者とともに揖斐川上流へ向かったという。
数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。
安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。
すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。
龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です、もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。
夜叉堂は石原家個人の所有であるので、参拝する際は事前予約が必要であるそうです。
養老鉄道養老線広神戸駅より徒歩約15分。
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