住所:本巣市早野
ジャンル:名所
岐阜市を出て本巣の国道303号線を走っていると、田園風景の中国道沿いに神社がありその隣に胸像が立っていました。
像や碑には中島武一(なかじま ぶいち)と書かれてあった。
中島武一氏を調べてみたら、何と歌手の中島みゆきさんの祖父だと知りました。
武市は1896(明治29)年、土貴野村の早野(現本巣市早野)で生まれました、家庭は貧しい家庭環境で育ったそうです。
小学校卒業後に村役場で用務員を務めていたこともあり、1914年に岐阜商業学校を卒業した後、大阪の呉服問屋に丁稚奉公に出たそうです。
その後、名古屋の株屋を経て北海道に渡り旭川で書店に勤め、帯広に移り1920年に古着商中島商店を開き、間もなく屋号をみつわ屋と改めたそうです。
がむしゃらに這い上がった武市は、やがて北海道の名士になったそうです。
1939年には帯広市実業連合会長・十勝商工会連合会長に就任し、1942年には帯広市議会議員に当選したのち1943年9月には帯広商工会議所会頭となりました。
北海道で名士となりましたが故郷の事は忘れていなく、故郷に多大な寄付を重ねました、土貴野地区の神社鳥居や忠魂碑、二宮金次郎像など多数に、その名が刻まれています。
隣にある土貴野神社の鳥居を確認しましたら中島武一の名前が刻んでありました。
光輪寺(本巣市早野)山門横の夫婦地蔵は、結核で亡くなった弟夫婦をしのび、結核撲滅を願って1937年に建立しました、近くの墓地には両親と弟夫婦が眠っています、寺では生家がなくなった後しばらく仏壇を預かっていたため、武市は墓参りを兼ねてたびたび来訪したそうです。
胸像は故郷への貢献をたたえられ、存命中の1965年に地元有志らによって建立されました、1969年には旧糸貫町の名誉町民第1号にも認定されています。
歌手の中島みゆきさんは1952年、武市の長男の娘として北海道で産まれました、祖父から故郷の話を聞いたことがあれば、岐阜の人間としては嬉しいです。
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