住所:岐阜市折立
ジャンル:名所
岐阜市折立の住宅地の一角、地蔵寺跡境内に松尾芭蕉・神山寸木の連句碑が立ってました。
観光地でもない農地がある住宅地であり、一般の人はほとんど来ないと思われます。
松尾芭蕉は日本全国を回り間者(スパイ)とも言われてましたので、思いも知れないところに現れていますね。
岐阜市折立の南東は三ツ又の地名で、江戸時代は伊自良川(旦川・現新堀川)と板谷川(板屋川)が合流していたので三ツ又と名づけられた土地柄です。
芭蕉は貞享5年(1688)6月美濃の国へ第2回の来遊、17日に三又村庄屋の神山長四郎吉正(俳名寸木)が、芭蕉、荷兮、越人、落梧、秋芳の俳人と発句から六句までの連句を詠む。
発句が寸木、脇句が芭蕉でその連句碑があります。
どこまでも武蔵野の月影涼し 寸木 (五七五の長句)
水相似たり三またの夏 芭蕉 (七七の短句)
寸木は、芭蕉が江戸深川の芭蕉庵の俳風を美濃へ持ち込んで来たことを讃えて発句を詠んだ、これに対して芭蕉は三ツ又も武蔵野もよく似ていると答えた。
もちろん似ているのは地名や気候だけでなく、蕉風と通ずる美濃の俳風である、こちらも立派な処です、と答えたのである。
永らく句碑は行方不明となっていましたが、昭和34年(1959)に境内から発見され、昭和40年(1965)に台座が竣工された。
県内の芭蕉句碑で建立年が刻銘の中で最も古い。
芭蕉を受け継ぐ美濃派(獅子門)道統は、第二世各務支考の後、黒野や西郷から以哉派第五世安田以哉坊、十八世田中専雅、二十九世山田三秋、三十九世國島十雨と輩出している。
多くの門下生が俳句に親しんだ文化豊かな誇り高い地である。
近くに芭蕉公園があって、以前レポートした眞中神社の西です。
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