おくわ様の祠 この雄総にある長良川堤、現在は川本流に面していません、現在のように長良川の堤防が改修されるまでは堤防として機能していました。 その堤防にひとつの祠があります。 祠はくわの墓とされています。 そこには悲しい伝説があります。 昔、まれに見る大雨の年のことでした。激しい雨は、長良川を恐ろしいほどに狂わせ、つ … [Read more...] about 哀しい伝説の祠
のんびり岐阜まちなか歩き
えっ大化の改新
伝蘇我倉山田石川麻呂の墓 高速道路近くに盛り上がった小さな丘に歴史上の人物の墓がありました。 蘇我倉山田石川麻呂って誰?そしてどう読むの、と思われた方も多いでしょう。 そがのくらやまだいしかわまろ、と読みます。 伝蘇我倉山田石川麻呂の墓(でんそがのくらやまだいしかわまろのはか)とは、岐阜県各務原市蘇原宮塚町にある史跡 … [Read more...] about えっ大化の改新
ご縁をぎゅぎゅっと
結神社 結神社は、江戸時代までは結大明神と称していたそうです、明治36年(1903年)揖斐川の河川改修の為現在地へ移転、結神社に改められたそうです。 記録によれば、80代高倉天皇の嘉応(かおう)年間(1169~1171年)に創建されたと伝えられていますが、一説には奈良時代より以前に創建されたともいわれているそうです。 祭神 … [Read more...] about ご縁をぎゅぎゅっと
本当にひと晩で?
墨俣城 織田信長公が岐阜に入城1年前、永禄9年(1566年)木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる墨俣一夜城。 その城跡に当時の砦のような城ではなく、地域住民の永年の夢だあった城郭天守の体裁を整えた墨俣一夜城(歴史資料館)が、平成3年4月に開館されました。 史実については、太閤記や断片的資料で概要を知る … [Read more...] about 本当にひと晩で?
岐阜には大仏が居る
岐阜大仏 以前岐阜大仏のレポートをしましたがその続編です。 奈良や鎌倉の大仏は時の権力者の威光で作られましたが、岐阜大仏は違います。 江戸時代の寛政の頃(江戸後期)金鳳山正法寺の第11代惟中和尚は、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛めこれらの災害で亡くなった人々の菩提のために大釈迦如来像の建立をはかりました。 1791年( … [Read more...] about 岐阜には大仏が居る