岩戸観音
金華山の南からの入口、岩戸にパワースポットがあります。
岩窟観世音菩薩が祀られている、岩戸観音です。
地元の公民館の調べでは、観音滝に向かって右側に石段があり、107段程上ると、岩窟観世音菩薩があります。
岩窟に通ずる石段の上り口にある石碑に、金華山城主斎藤利永公守本尊とあり、由緒ある菩薩であるとともに観音滝という名もここに由来します。
稲葉山城主であった利永公の夢枕の中に白衣の童女が現れ、その童女が、私は旭見ヶ池(火見ヶ池)の中にいる観音の化身である、私を旭見ヶ池から出して、この稲葉山の南麓にある岩窟の中に祀ってくれたなら稲葉山の一帯と稲葉城の安泰を守ってあげよう、と告げるやその姿が消えたそうです。(他にこの観音像は聖徳太子のお手製という説もある)
この観音像は身の丈一寸八分純金製だと言われてます。
この像を観音堂に納め、ここを中心として岩戸地区に信仰が深まり寺も建ちました。
利永公には篤い仏徳心があったからできたことされています。
斎藤家も利永公の死後、嫡子の利勝が継ぎましたが、日蓮宗へ改宗して以来寺宇は荒廃が進みました。
岩戸の人々により毎年1月18日例祭が綿々と続けられています。
斎藤利永と言うのは、室町時代の武将で美濃守護代、二階堂行政から始まった岐阜城(稲葉山城)で二階堂一族の後に城主となった人です。
常在寺や瑞龍寺を建立した斎藤妙椿の兄で、斎藤妙椿は斎藤利永のあと城主になりました。
前記の聖徳太子のお手製という説もあると言うのは、童女が現れて次のように話した説もあります。
あなたの持っておられる一寸八分の観世音菩薩は、聖徳太子の製作になったものである、私は長い間この霊像を守って天下国家の泰平を祈願してきた。
あなたも城楼を建てるならば祈りなさい、望みを達しようと思うならば、この山の南麓に百丈岩窟がある、霊像をその岩窟に安置すれば武運長久の守護となる。
その岩窟の下流に沼池があり、これから後三七夜竜灯がその沼池に現れる、それが証拠である。
と告げて、空に向かって飛び去った。
明くる夜数十点の竜灯が沼池から湧き出した星のように欄干に落ち、諸士万民は奇異の思いが堪えなかった。
竜灯は、三七夜でついになくなった、それ以降その沼池を火見ヶ池と言うようになったそうです。
石段を下りたところに岩戸の滝があります。
この滝は明治40年に有志の寄付によって開かれ、保護改善されたものです。
滝の打たれ石は、(往古ヨリ岩戸前荒田川ノ支流ニ仮設セラレタリシ石橋ニシテ俗ニ之(これ)ヲ地蔵石トイフ長サ一丈幅五尺余石面砥ノ如ク稀世ノ名石ナリ)と市役所保存の史跡名勝明細簿にあるそうです。
地蔵石の表面には、車の鉄輪が何度も上を通ったために輪の跡が付いているそうです。
岐阜城主や聖徳太子が出てくる、伝説的なパワースポットですね。
JR岐阜駅より岐阜バスで岩戸公園前まで約20分です、岩戸公園の前です。

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