中山道御嶽宿
ほとんど国道21号線整備に昔の面影が残ってなく所々となってます。
御嶽宿(みたけじゅく)は中山道49番目の宿場です。
ここも伏見宿と同じように見付がなく、宿場の範囲がわかりにくいです。
尾張藩領で1843年当時は、人口600人、家数66軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒の宿場です。
名鉄の駅がありその前に願興寺と言うお寺があって、門前町として発達した中山道制定当初からの宿場です。
本陣跡は門のみとなっていて、そのところに中山道もたけ館があり、隣に商家竹屋があります。
大きな宿場ではありませんが、中津川方面に向けての難所を控えた宿場としても栄えました。
伏見宿より国道21号沿いのきて鬼首塚があります、そこから右に行き名鉄線路から東に行きます。
鬼の首塚、祠があります、中には関ノ太郎首塚と鬼首塚と刻まれた2本の石塔が鎮座しています。
伝説によると、鎌倉時代に鬼岩の岩窟に関の太郎とも鬼の太郎とも呼ばれた男がいたが、悪行三昧のし放題してました、ついに蟹薬師の祭礼の日に討ち取られたのだが、首を京都に送る途中この地に落ちて動かなくなってしまったためここへ埋めた、とのこと。
蟹薬師とは願興寺のことです。
首塚の隣に建てられtいるのは正岡子規歌碑です、草枕むすぶまもなき うたたねの ゆめおどろかす野路の夕立、とあります。
正岡子規かけはしの記の中の一節で、子規が御嶽宿を出て伏見宿へ向かう途中の出来事であったそうです。
東に進み南へ折れると名鉄広見線御嵩駅があり、その前に願興寺があり、見るから立派な寺院です。
願興寺の土塀がある道を東に進むと、本陣跡があります。
このあたりの建物、格子のある建物で昔を醸し出しています。
また、国道21号に出て少し行くと国道を離れ山道になります。
謡坂十本木一里塚というのがあり、そばに安藤広重の木曽海道六拾九次之内御嶽宿のモニュメントがあります。
この辺りが広重の絵のモデルとなった場所だと云われています。
本陣跡は名鉄広見線御嵩駅下車徒歩5分程度です。

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