根尾谷淡墨桜
桜の開花時期には、観光バスが何台も連ねてこの木だけを見にこの場所へ訪れます。
この木というのは淡墨桜(うすずみざくら)、岐阜県本巣市の淡墨公園にある樹齢1500年以上のエドヒガンザクラの古木であります。
淡墨桜は蕾のときは薄いピンク満開時には白色、散りぎわには特異の淡い墨色になり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色にちなんでます。
樹高16.3m、幹囲目通り9.91m、枝張りは東西26.90m、南北20.20mあり、樹齢は1500余年と推定され、継体天皇お手植えという伝承があります。
日本五大桜または三大巨桜の1つであり、1922年(大正11年)10月12日には国の天然記念物に指定されました。
五大桜とは、埼玉県北本市の石戸蒲ザクラ、福島県田村郡三春町の三春滝桜、山梨県北杜市の山高神代桜、静岡県富士宮市の狩宿の下馬ザクラ、そして淡墨桜と言われています。
三大巨桜は、三春滝ザクラ、山高神代桜と薄墨桜を言います。
そして作家宇野千代との出会い、昭和34年9月の伊勢湾台風はこの老木に大きな被害を与えました。
太い枝が折れ葉や小枝は殆どもぎ取られ無残な姿になってしまったそうです。
そのような時期、昭和42年4月11日に宇野千代が来村されたのであります。
この老桜の痛々しい姿に心をうたれ、グラビア紙太陽の昭和43年4月号にその感想文を発表すると共に、岐阜県知事平野三郎氏に手紙を寄せました。
宇野千代は、何とかこの淡墨桜が枯死するのを防いで頂きたい旨を切々と訴えられたのであります。
平野知事はこれに応え、昭和43年4月9日に親しく視察され、早速県文化財審議会に桜の保存を指示しました。
そして岐阜大学教授堀武義先生に桜の診断を依頼し保護の方法の指示を願いました。
堀教授は診断の結果他細部にわたって根尾村に再生の指示をされたのです。
以来、再生作業等に対して国・県から補助金が交付されるようになり、地元や有志の浄財とも合わせて保存に努めています。
多数の人々の努力により、不死鳥のごとく蘇った老桜は、これからも毎年満開の季節を迎えるのであります。
そしてこの公園内に、さくら資料館があります、淡墨桜に関する資料館です。
淡墨桜の樹勢を回復するために行われた1949年(昭和24年)の歯科医前田利行による根接ぎの様子や宇野千代の淡墨桜に関する作品などが展示してあります。
樹齢は1500年とは、伝承によると467年(雄略天皇11年)頃、男大迹王(後の継体天皇)がこの地を去る時、檜隈高田皇子(宣化天皇)の産殿を焼き払い、その跡に1本の桜の苗木を植える、とあります。
これは愛知県一宮市の真清田神社ゆかりの土川家で発見された古文書『真清探當證』の記述によります。
大垣駅から樽見鉄道に乗って終点・樽見駅下車徒歩15分くらいですが、車の方が良いと思います。

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