日子坐命墓
今回でレポート回数200回となりました。
宮内庁で岐阜との関係で有名なのは、鵜匠ですね正式名は宮内庁式部職鵜匠です。
そして今回の日子坐命墓(ひこいますのみことのはか)です。
日子坐命としてますが、日本書紀では彦坐王、古事記では日子坐王、他文献では彦坐命・彦今簀命とも表記されているそうです。
第9代開化天皇の第三皇子で、第12代景行天皇の曾祖父です。
第10代崇神天皇が兄弟に当たり、その子第11代垂仁天皇であり、その子が第12代景行天皇です。
景行天皇の兄弟に五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)がいます、伊奈波神社の主祭神です。
伊奈波神社から言うと、外曾祖父に当たることになります。
もうこの辺は神話の世界ですね。
日子坐王は崇神天皇の命を受け丹波に向かい玖賀耳御笠(くがみみのみかさ)(陸耳御笠と書かれているのもあり)を討伐した。
陸耳御笠(くがみみのみかさ)聞きなれない名だと思いますが、大昔青葉山から与佐大山(大江山)にたむろしていた土蜘蛛(つちぐも)の名前です。
その後日子坐王は、御子八瓜入日子命(やつりいりひこのおう)が三野(美濃)・本巣国造に命ぜられるのに同行してこの地に来られた。
地域の安定と人々の生活向上に心血を注がれ、住民の信望を集められた。
その後亡くなり、住民はこの地の北山中腹に手厚く葬り崇め奉った。
古来この場所には拝殿があり、伊波乃西神社と称していましたが、明治8年宮内省より御陵墓と認定されたため、現地に遷宮し奉ったのもであります。
現伊波乃西神社の横から山道(階段状)を登っていくとあります。
みだりに域内に立入らぬこと、魚鳥等を取らぬこと、竹木を切らぬこと、と書いてあります。
金華山が昔天領だった時と同じようなところだったのですね。
交通は前回と同じです、岐阜バス岩田バス停下車徒歩約15分位のところにあります。

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