岐阜城城下町
「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜が日本遺産に認定されました、平成27年度。
日本遺産とは、何?
文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るために、歴史的経緯や風習などを踏まえたストーリーのもとに文化財を活用していくことが必要。
そこで文化庁が、地域の歴史的魅力や特色を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取り組みを支援しているものです。
日本遺産事業の方向性は次の3つに集約されます。
①地域に点在する文化財の把握とストーリーによるパッケージ化
②地域全体としての一体的な整備・活用
③国内外への積極的かつ戦略的・効果的な発信
信長公のおもてなしにどのようなストーリーがあるのか。
戦国時代、岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長公、日本史上最も有名な人物の一人であります、冷徹非道・戦上手・改革者・破壊者等のイメージで語られることが多いです。
この岐阜で行ったのは意外にも手厚いおもてなしでありました。
信長公は軍事の力で征服するだけでなく、文化の力で公家、商人、有力大名等の有力者をもてなすことで、仲間を増やして行きました。
城を大改造して、山麓に地上の楽園と称される巨大庭園を持った迎賓館を建設し、金華山や長良川の美しい自然環境や眺望を活かして、最高のおもてなし空間を創出していきました。
客人を招き通常家臣が行うような案内や給仕を信長公自ら行なう、信長流のおもてなしをしていたと言われています。
また信長公は楽市楽座などの柔軟なまちづくりで城下町を国内有数の都市に発展させ、その骨格は現在に継承されています。
自然環境を活かした城内外の眺望や長良川での鵜飼観覧による接待などを通して、宣教師ルイスフロイスら世界の賓客を魅了した。
信長公が形作った城・町・川文化は城としての役割を終えた後も受け継がれ、現在の岐阜の町に息づいている。
というようなストーリーで日本遺産に認定されました。
城下町は日本全国にあります、それのほとんどが江戸時代に発展したところです。
岐阜はその前の戦国時代からある城下町です、県庁所在地としてはその時代から発展したには岐阜だけです。
実際どこを廻ればよいか日本遺産②でレポートします。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
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