赤口神社
岐阜市本郷通り欅並木にあります。
いつもはひっそりと近くに有る小学校や幼稚園の子供たちを見守っていますが、岐阜祭りの日には賑わいを見せます。
由緒は、室町時代の末期天分3年(1534年9月6日)未曾有の大洪水で長良川の堤防が小熊野神社付近で大決壊した際、上流から一宇の祠が今泉郷地内に漂着した。
村人はこれを下流に押し流したが、不思議にも翌朝元の岸辺に戻っており、これはこの地に止まり賜うとの神慮なりとして近くに安置し、その後村の中心地の本郷に遷座し、奉祀し奉ったのが当神社の起源である。
当時疱瘡にかかった名主の娘や足腰の立たない老女が祈願したところ治癒軽快するといった霊験があり、いつしか「おしゃもじさま」と呼ばれ、疱瘡(天然痘)除の神様として広く信心されるようになった。
種痘が普及し天然痘の流行がおさまった後も病除け、幸福授けの神様として引き続き人々の信仰を集めていた。
その後明治7年の地租改正に関連して、民間の「おしゃもじさま」がかなりの社域を保有していたことから新しく「社宮大神」を祭神に定め、神社名を赤口神社とし以後国公認の神社となった。
当神社は昭和20年7月7日の岐阜大空襲で本殿その他すべてを消失したが昭和24年12月、関係者の努力により再建された。
また昭和27年3月に宗教法人赤口神社の承認を受け現在に至ってる。
当神社は「せきぐち」神社と呼ばれているが、「しゃこう」神社とするのが正式の名称である。
赤口は陰陽道で正午のみを吉とする大凶の日で、何故このように名付けられたか不明である。
なお、岐阜祭りに毎年当神社に伊奈波大神が渡御されるが、明治22年今泉村が岐阜市制の発足に参画した際に取り決められたもので、祭神間の特別な関係によるものでは無い。
神社にある説明文には主祭神は不明と書かれていますが、神社庁のHPには赤口大神と載っています。
境内内には、白竜神社と秋葉神社があります。
忠節橋通り本郷町1交差点より西へ約5分程度です。
岐阜駅よりバス、本郷町まで約10分程度です。

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