玉保山 慈恩寺
西山浄土宗、玉保山 慈恩寺
岐阜市内に慈恩寺は数寺あります、岐阜城の守護四仏-②でレポートしました時にも出てきました。
慈恩寺の創建は建久6年(1195)、山県国盛、国成兄弟が父親である落合三郎国時の十三回忌に慈源大僧正を招き開山したのが始まりと伝えられています。
その後、兵火により多くの堂宇・記録・寺宝が焼失し衰退しますが文和元年(1352)、智通大師(立教寺開祖)が後亀山天皇の勅命により再興しています。
国指定重要文化財木造千手観音坐像(教育委員会案内板)
木造千手観音坐像は、桧木材を用いた一本造りの漆箔像である、像の高さは103.3cm。
本像は通形の四二臂像(ひぞう)と異なり、二臂によって頭上に高く阿弥陀如来を捧げている。臂(手首から肘まで)
この像形は、京都清水寺の本尊と同じ形式のもので、清水式観音と呼ばれる。
光背は、一面に多数の手を浮き彫りにして、千手のようにしているのが顕著な特色である。
光背・持物・台座は後世の補作である。
像は貞観彫刻の名残りをとどめ、端正な姿を示し、膝を左右に大きく張って安定感がある。
また、彫眼の両眼を孤状の伏し目にあらわす穏やかな顔つきや、均整のとれた体貌を持つ。
本像の制作は、定朝様式に移行する以前の10世紀と思われる。
寺伝によると慈恩寺は、かつて天台宗の古刹あったが、今は西山浄土宗の末寺である。
文明年間(1469~1487)に当寺にあった恵心作阿弥陀如来像を、津保満願寺の最澄作千手観音像と交換したと伝えられている。
木造千手観音像は大正3年に国指定重要文化財に指定されています。
御開帳は正月三ヶ日と8月9・10日の5日です。
ここには他、阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、十二神将などの像があります。
通り沿いにはありますが、入り口より奥深くに本堂があり車では行き過ぎることもありますから注意ください。
JR岐阜駅より岐阜バスで、加野団地線三輪釈迦前行き約45分福富口下車、東南方向へ徒歩約15分。

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