浄安寺
浄安寺、真宗大谷派の寺院です。
白鳳山浄安寺、本尊は阿弥陀如来で開祖は大館彦右衛門。
大館彦右衛門は暦応2年(1339)覚如法王に帰依し名を明閑と改め、天文年間伊勢長島のカロフト嶋に創建する。
天文2年(1584)早田村に移り、慶長6年(1601)に現在地に移ったそうです。
当初は井ノ口総道場といい寺号は無かった、その後羽柴美濃守から寄合所と号を許され、徳川家康より寺号を許された。
そしてここには勅使河原直治郎の墓があります。
(直治郎の表記は、直次郎・直二郎など表されているものがありますが、大正15年緑綬褒章授与された賞状に書かれている直治郎としました)
勅使河原直治郎、安政6年(1859)~昭和6年(1931)、岐阜提灯再興立志伝中の人物。
それまで提灯は無地物が多かったが、直治郎は壺提灯等に美しい彩色絵をつけて売り出したり、天皇陛下の岐阜行幸の際に岐阜提灯を献上して、それまで衰退しかけていた岐阜提灯を一気に復興させた立役者で、岐阜提灯中興の祖とされてます。
岐阜提灯、細骨に美濃和紙等の薄紙を張り通常は長卵形の吊提灯であり、薄紙には美しい模様が施されています。
昔ながらの技法を用い手作業が多く、技術としては、張り(細骨に薄紙を張る)、擦り込み(薄紙に模様を版画の要領で摺る)、盛り上げ(提灯の木地の部分に白胡粉で盛り上った模様を施す)がある。
平成7年(1995)4月5日、通商産業省(現経済産業省)伝統的工芸品に認定される。
そして、明治19(1886)年頃、岐阜提灯中興の祖とされる勅使河原直治郎は、日用品だったうちわを岐阜の優れた工芸品として売り出した、それが 水うちわ です。
水うちわ、鵜飼などの舟遊びの最中舟の上からうちわを川に浸けて水滴を飛ばし扇ぎ、涼をとったと伝えられています。
その後、原料となる雁皮紙(がんぴし)が手に入りにくくなったことや絵師がいなくなった、簡易なうちわが広まったりして、しだいに生産が途絶えてしまった。
平成17年(2005)に行われた美濃和紙の企画展をきっかけに家田紙工が、その復活を決意し商品化への取り組みを始めました。
その後、テレビや新聞雑誌などで紹介され、今では人気の絵柄はすぐに売り切れてしまうほどになっています。
艶やかな極薄の和紙に、色鮮やかな絵柄が描かれた水うちわは、長良川畔の文化と職人の匠の技が詰まった岐阜が誇る美濃和紙の工芸品として岐阜の名産品となりました。
岐阜提灯も水うちわも、岐阜の名産品として広く名を広めていますが、その文化を再興したのが、勅使河原直治郎です。
岐阜の紙文化を語るのに欠かすことの出来ない人物なのです。
岐阜の紙製品は海外でも高い評価を受けました、明治43年(1910)日英博覧会(ロンドン)、大正4年(1915)サンフランシスコ万国博覧会等に出展して、金賞・名誉大賞などを受けています。
その他、この寺には詩人山田鼎石の墓もあります。
場所は、長良川左岸堤防道路、岐阜小学校の東側に隣接しています。

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