智照院
岐阜長良川、清流のほとり皆様の願いを成就する七体の福神様がいます、お参りしてはいかがでしょうか。
この寺院には、恵比寿が祭られています。
恵比寿は七福神の中で唯一の日本の神で、その他はインドや中国を起源とする神様達です。
その恵比寿神は、イザナギ、イザナミの尊の大三子にあたる蛭子尊(ひるこのみこと)であるとされていて、烏帽子を頭に狩衣(かりぎぬ)を身につけ、右手には釣竿・左手には鯛という、なんとも忙しい格好をしています。
釣竿・鯛と分かるように、古くから漁業の神でもあります、その言われは、蛭子尊の説で鎌倉時代のころに現われたものであるそうです。
記紀神話において、蛭子尊は3歳になっても足が立たなかったため流し捨てられたとされてます。
その神話を受けて、蛭子尊は摂津の国近くの海岸に漂着地元の漁師に拾われた後は大切に育てられ、その後夷三郎大明神、夷大神として祀られたと、恵比寿信仰の総本社である兵庫県西宮市の西宮神社に伝わるそうです。
夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称されているのは聞いたことあると思います。
恵比寿を夷三郎と呼ぶのは、日本書紀において3番目に生まれたことによるとされています。
元々は漁業の神であった恵比寿さんは、次第に福の神としての性質もおびてきます。
平安時代後期には、恵比寿を市場の神(市神)として祀った記録があるそうで、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮境内で市神として恵比寿を祀ったと言われてます。
このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れたとされています。
そうして、「夷・大黒」などといわれるように、「商売繁盛の神様」として信仰されるようになったのです。
今現在でも、テレビのニュースなどで見たことあると思いますが、「商売繁盛で笹もってこ~い」等と言ったフレーズでおなじみですね。
同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の1柱とされされます、福神としての恵比寿は、ふくよかな笑顔(えびす顔)で描写されています。
智照院は曹洞宗の寺院で、山門は新しく作られた鐘楼門です、本堂は落ち着き在る形で前に延命地蔵が高い台上に立っています、そのの横は大師堂です、大聖歓喜天堂の前には恵比寿が座っています。
この寺院には智照院古墳があります、古墳群の通番として岩田1号墳とも呼ばれることがあります。
墳丘は単純な円形をしており円墳と呼ばれ全国の古墳の中でもっとも多数を占める古墳の形式を持っています。
この智照院古墳は昭和55年3月18日岐阜市の史跡に指定されています。
恵比寿、商売と豊穣の福神様、商売繁盛・開運招福・家内安泰・交通安全のご利益があります。
5月の第4日曜日が大祭日です。
岩田交差点を長良川の方に入り、北に向かう、周辺道路狭くて分かりにくいです。

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