中山道赤坂宿
赤坂宿は中山道江戸から数えて56番目の宿場で、現在は岐阜県大垣市ですが中心部より直線距離約4キロ北西に位置します。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠17軒の宿場です。
美濃赤坂は、杭瀬川の水運を利用した川港として、また、中山道と谷汲山華厳寺に到る谷汲街道への分岐地という交通の要所でもありました。
宿場の中心と言える本陣跡は公園となっていて、本陣跡の碑と所郁太郎像が有ります。
所郁太郎、赤坂の醸造家・矢橋亦一の子として生まれた医者、京に医者として開業し近くに長州藩邸があったことから郁太郎の治療を請う長州藩士が多く、この頃から長州藩士と交わりがありました。
刺客に襲われた井上聞多を畳針で縫合手術し命を救ったことが有名だそうです。
本陣跡から西に行ったところに脇本陣があります。
ここは宝暦年間以降、飯沼家が代々に亘り脇本陣約を勤めていました、問屋や年寄り役も兼務して明治維新以後その制度が変わってから榎屋の屋号で旅館を続けました。
そして脇本陣の東に立派な建物があります。
矢橋家住宅、一部は天保4年(1833)に建てられたという大型町家です、江戸時代末期の地方都市における大型町家の特徴がよく表れている国登録の有形文化財となっています。
宿場町を歩いていると、お嫁入り普請跡というものがありました。
中山道は和宮降嫁で使われたことは有名ですが、ここ赤坂宿も大行列一行が宿泊するために54軒ものの家が建て直されました、そのとき和宮様が「なんと田舎に来てしまったのか」とお嘆きにならないように、一見2階建てに見える家を建てたそうです。
それが現在まで残っていました。
本陣跡の東側には、火のみ櫓が立っていて、赤坂宿のモニュメントのひとつとなっています。
その前が、赤坂港跡があります。
川みなとは、湊と表記するところがありますが、ここは海と一緒の港なんですね。
ちょっとした公園になっていて、その横には赤坂港会館と呼ぶ洋館の資料館となっています。
北側にある金生山から石灰や大理石運ぶために明治時代大変賑わったそうですが、大正時代からの鉄道の発達で船運は衰退していきました。
宿場中央付近に道標があって、中山道では4番目に古いそうです。
左たにくみ道と標されていて、谷汲の華厳寺への案内です。
脇本陣近くに五七と書かれた所があります、赤坂宿が日本橋より数えて57番目の宿場だからです。
お休み処のお店です、大垣は枡で有名ですがそれにちなんだお土産などがあります。
JR美濃赤坂駅より徒歩約5分くらいで中山道に出ます。

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