奥の細道むすびの地
大垣駅を降り南に出て左に行くと水路に出会う。
その水路に「ミニ奥の細道」があります。
「おくのほそ道」とは、松尾芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸深川を出発し、全行程約600里(2400キロ)、日数約150日間(約半年)中に東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸にもどった紀行文集であります。
「おくのほそ道」では、旧暦8月21日頃大垣に到着するまでが書かれています。
駅から東に行くと、写真のように建物におくのほそ道の行程が絵に描かれています。
その先に進むと水路にあたり、ここからミニ奥の細道が始まります。
おくのほそ道むすびの地であり、西美濃の城下町・大垣、その大垣城のかつての外堀でもある水門川沿い、水と緑に彩られた「四季の路」に誕生したのが「ミニ奥の細道」です。
おくのほそ道の全行程およそ2,400kmを2.2kmに縮め、愛宕神社から奥の細道むすびの地まで、全部で22基の句碑をめぐる旅です。
写真のように石の句碑ががあって解説の表記があります。
芭蕉の句に浸り散策を楽しんでください、ところどころユニークなモニュメントもあってほっこりできますよ。
湧水地もあり水都大垣を感じ取れます。
芭蕉は岐阜が好きみたいですね、大垣には四度来ています、第一回大垣来遊は、貞享元年(1684年)の晩秋でありました。
芭蕉は郷里伊賀上野に帰省し、続いて近江路より美濃路に入り、大垣に来ました、これはいわゆる「野ざらし紀行」の旅の途中のことだそうです。
第二回芭蕉来垣元禄元年(1688年)の春より、大阪・兵庫を巡歴しての後、京都に滞在していた芭蕉は、大津より帰東の途中、岐阜妙照寺住職である己百上人の案内で美濃に来遊しました。
この時、芭蕉は中山道を関ヶ原・垂井を経て赤坂の矢橋木巴亭に一泊したといわれています。
そして神戸を経て岐阜に入り、妙照寺己百亭に着きました、滞在することおよそ一ヶ月、この間に鵜飼いを見物したりしました、前のレポート妙照寺を見てください
岐阜を出た芭蕉は、名古屋・鳴海方面をまわり、美濃路を経て「更科紀行」の旅に出ました。
この旅は姥捨山(うばすてやま)の伝説の地、信州更科に古来有名な名月(田毎の月)を見ようと時を選んで出かけたものだそうです。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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