太田宿中山道会館
この会館は、太田宿に訪れたお客様と市民の出会いとなる場所、観光・文化・交流をテーマに建てられました。
中山道、歩くことが交通の手段だった頃主要街道の一つ、情報が入らない時代旅は未知との出会い、人との出会いから感動が生まれました。
旅をすることで喜びを知りより感動を受けます、その感動を太田宿を巡る旅の出発点として太田宿中山道会館はあるそうです。
中に入ると、エントランスホールには、太田宿他美濃加茂の観光情報コーナーがあります。
そして展示室、中山道太田宿の歴史文化・江戸時代の宿場や旅の様子など貴重な展示物をご紹介しています。
太田宿が最も栄えたのが江戸時代でその頃が中心となっています。
飛騨街道と郡上街道との分岐として栄えた太田宿、その江戸時代の宿場町の様子をからくりパネルや触れる展示物などを取り入れながら再現しています。
太田宿ミニシアターと言われるコーナーがあって、姫街道とも言われそのクライマックスともいえる皇女和宮の艶やかで華やかな大通行「姫街道~皇女和宮~」ほかを上映しています。
加納宿の時も書きましたが、中山道を語る時に皇女和宮は必ずと出てきます。
中山道まつりでは、姫道中に加え皇女和宮行列を実施するようにもなっています。
中山道を紹介するコーナー、中山道六十九次・美濃十七宿(16宿+1(木曽路))京と東国を結ぶ幹線として紹介しています。
中山道の一宿場町ではあるが木曽川の存在が大きく、太田宿と川との関係を、いろいろな資料を基に展示しています。
その他室内の施設として、多目的ルームや物産の展示や販売・休憩コーナーなどがあります。
会館の外にある建物は、総理大臣の名は知らなくとも岡本一平の名を知らない者はいない、とまで言われた大正から昭和戦前の人気漫画家・岡本一平が暮らしていた住居を移築した物です。
1946年(昭和21年)から約2年間、住んでいたのが美濃加茂市古井町下古井の家「糸遊庵」(しゅうあん)です、岡本一平が亡くなったあとに解体されましたが、その部材の一部を使用した家屋が市内に建てられました。
岡本一平、その妻が小説家の岡本かの子、息子が画家の岡本太郎です。
太田宿としのレポートは別に会館だけのレポートとしました、宿のレポートはまた改めて行いたいです。
JR美濃太田駅、南口より南西方向徒歩約20分の所にあります。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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