手力雄神社
「ハンドパワー 火祭りの神社」でレポートしましたとおり、手力雄神社(てぢからおおじんじゃ)は岐阜に2つあります。
今回の手力雄神社は、各務原にあって織田信長公ゆかりの神社です。
主祭神は手力雄神(てじからおおかみ)力の強い神さまとしてしられており、永禄年間には織田信長公が戦勝祈願をしたことから勝運、開運の神として崇敬されております。
各務原市那加地区の産土神で、各務原市内金幣五社の一社であるそうです。
社伝によりますと、創建は不詳と詳しくは分からないみたいですが、5世紀末期ごろ中里(今の岐阜県各務原市那加地区)を支配していた豪族により、山の中腹に磐座(いわくら)祭祀として神様を祭ったのが始まりとされます。
主祭神である手力雄神は、古くは佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたのを、後に現社地に奉還され佐良木郷の産土神として崇敬されたと伝わっているそうです。
室町時代、佐良木郷八ヶ村の氏子を中心に崇敬を受け、薄田(すすきだ)源左衛門尉(げんざえもんのじょう)藤原祐貞(ふじわらすけさだ)が厚く崇敬したと伝わっているそうです。
戦国時代、永禄10年(1567年)織田信長公が岐阜城攻略のおり手力雄神社に戦勝祈願をし、祈願成就の後、各務野原近里(自衛隊岐阜基地、市役所周辺より尾崎団地までの現在の那加地区)1300町歩を社領に付し、宝物等を寄進し社宝また文化財として今日に至っているそうです。
織田信長公ゆかりの神社かというと、美濃攻略斎藤氏の居城稲葉山城(岐阜城)を狙うために各務原の地区に攻め込んだ信長公、敵を攻めるのに神社仏閣・民家を焼き払うという方法を取っていました、これは向かってくる敵を徹底的にやっつけることを相手方に示すというねらいがあります。
那加にある神社仏閣などを焼き払い手力雄神社に迫り、朝靄のなか神社に火をつけようとした時不思議なことに、突然風が吹き荒れ霧が立ちこめ、信長公は目がくらみ自由が利かなくなり落馬しました。
神仏の祟りだと思った信長公は手力雄神社に参り罪を謝り、すると霧はたちまち晴れ信長公は元気になり、これ以後、信長は厚く手力雄神社を敬うようになりました。
境内には本殿他、秋葉神社・八幡神社・福徳龍神社・稲荷神社・子護薬師・高徳福龍神社などがあります。
本殿の軒下には龍の彫刻があります、本殿海老虹梁巻龍二体で各務原市指定重要文化財に指定されています、作者は不明だそうですが左甚五郎の作とも伝わっているそうです。(一説に左甚五郎は飛騨の匠の総称ではないかとも言われます)
本殿左右にある狛犬も県の重要文化財になっています。
他に史跡の信長公ゆかりの弓掛桜や天然記念物の紅さざれ石などもあります。
本殿裏には市指定史跡、手力雄神社境内古墳なる物もあって、天然記念物や史跡がある面白い神社です。
岐阜駅より、岐阜各務原線各務西町営業所行き約25分手力雄神社前下車すぐ。
名鉄電車各務原線新加納駅より北へ約1キロメートルです。

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