長良天神神社
今回は忠節天神・加納天満宮につづいて長良天神神社です。
創建などは前のレポートにも書きましたが、寛正年間(1460年~1466年)、斎藤利藤が斎藤氏の氏神として建立しました。
その後、斎藤利安や池田輝政が修復改修し、江戸時代に長良が尾張藩の領土となってからも、歴代の尾張藩藩主はこの神社を深く信仰しており、長良三郷の惣社として庶民の信仰も厚く守られてきました。
昭和34年(1959年)東海地方を襲った伊勢湾台風によって境内の大木の多くが倒壊し、建物も損傷を受けるが、昭和61年(1986年)に修復が完成する。
長良天神の森は、北は百々ヶ峰真福寺山、南は長良川とのその中間辺りに位置し、約五千坪の境内であります。
昔は森も大きく耕地が広がっている所でしたが、戦後長良地域は、岐阜市の住宅地帯の政策によって、住宅が増加し、耕地が減少することになり、特に環状線道路の工事が進むにつれて、美田地帯は市街地帯へと変わっていきました。
台風の被災より、植栽された杉・檜も今は立派な森を作るように見えますが、造営のため森の面積は半減し、昔の天神の森と言われているものは見ることが出来なくなって、わずかながら末社稲荷神社の周辺に、その面影が残っているそうです。
森の面積は半減したとは言え、住宅地の中の森として市民からは親しまれています。
この天神神社にも筆塚なるものもあります。
筆は書道の道具だけでなく、心を磨いてくれる大切なものです、菅原道真公の御神徳に縁の筆塚に、その使命を全うした古筆を奉納し感謝する塚です。
境内や南参道には約60本の梅の木が植えられていて、2月中旬より3月中旬まで見頃となります。
本殿横には立派なシダレザクラがあり春になると、この木だけを目当てに訪れる人もいるそうです。
梅や桜は天神神社に似合いますね。
神社ですので狛犬は居ます、もちろん天神神社ですからここにも牛も居ます。
ここの行事として書き初めが有名です。
年頭に書道の上達を願って「書初め」をする慣わしは、平安中期の頃より朝廷貴族の間で行われるようになり、江戸時代に寺子屋の手習い学習が普及するに及び、民間の中にその風習が広まったと云われています。
長良天神では、昭和48年の年頭より寺子屋が菅公の御神号の軸を掲げた故事にちなんで、御神前にて席上書初め大会を行い、それ以来毎年の恒例行事となっているそうです。
JR岐阜駅より岐阜バス、長良橋経由高富方面行き「長良天神」迄約20分。
長良天神下車、徒歩約5分です。

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