忠節天神
岐阜市内の天神・天満宮と言えば、加納天満宮・長良天神です。
ここは、それより古く県内で最も古い天神神社と言われてます。
主祭神は菅原道真(すがわらみちざね)、摂末社祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)です。
創建は、加賀出身の斎藤親頼が美濃国の目代に任ぜられ厚見群今泉村に社殿を1220(承久2)年に造営されたのが起源と言われてます。
北野天神、八ツ梅天神、西野天神とも呼ばれていました。
その後も斎藤家の子孫は、天神神社の再宮や創建に尽くし、1443(嘉吉3)年に斎藤利藤が社殿を再造営寄進した。
斎藤利永が土岐家に仕え、守護代となり、厚見群沓為郷(加納)に城郭を築き、その城内に1445(天安2)年天満宮を造営された、これが加納天満宮である。
1460年代(寛政年間)に、斎藤家が長良天神を造営寄進し、その後1534(天文3)年の長良川大洪水、1544(天文13)年織田信秀と斎藤道三との戦火、1565(永禄7)年の織田信長と斎藤龍興との戦火により、社殿等が流出、焼失したが、土岐家の家臣一柳氏が社殿を再建した。
1902(明治35)年~1903(明治36)年に、現在地に土地ほを購入、社殿を造営した。
それまでは、西別院の西側に社があり、現在の天神町の名前は、その名残りとおもわれる、1945(昭和20)年の岐阜空襲により、拝殿や社務所等も類焼し、縁起等の文書も焼失したが、その後改修された。(京まちづくりの会調べ)
交通量の多い忠節橋の近くですがひっそり佇んでいます。
加納や長良との規模は小さいですが、しっかりと歴史のある天神神社です。
入口の鳥居には、天神神社と書いてあるのですが、その横の石柱には天満宮と書いてあります、通称忠節天神と言われているので天神神社なんでしょう。
鳥居は大正時代、石柱は明治時代のものです。
鳥居をくぐって境内にはいると手洗い所の横に、牛の石像があります。
そこから先に行くと、拝殿がありその奥に本殿があります。
拝殿の前と本殿の前両方に狛犬が置かれています、本殿縁にも陶器製の狛犬が配置されて居るみたいです。
拝殿前の狛犬は、昭和天皇御大典祈念昭和3年(1928)建立だそうです。
岐阜駅より忠節方面行き西野町下車北へ徒歩5分程度の所に位置します。

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