芭蕉句碑(ポケットパーク名水)
ポケットパーク「名水」には、有名な作者の句碑があります。
岐阜を気に入り何度も訪れた、松尾芭蕉の「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」句碑があります。
鵜舟が目の前から遠ざかって行き、鵜漁の音が響き渡り、篝火が目映い状態より水音・風声のみが聞こえる幽寂の世界になる。
華やかな鵜飼が終わり、すべてが闇に還る悲しさに芭蕉は心を打たれた句であります。
芭蕉はこの他岐阜を気に入っていろいろ句が残ってます、この場所に近いところでは川原町の十八楼のホテル内にも句碑があります。
北原白秋の鵜匠頭山下幹司翁歌碑もあります。
篝火の朱にはゆる 君こそは鵜匠なれ 濡れしづく腰蓑の 風折鳥帽子古風にて すばやくも手にさばく 桧の縄のはらはらに 時の間よゆく水のかぎりなき 灯ににほへば 香魚を追ふ鵜の数の つぎつぎと目にうつりて ほうほうと呼ぶこゑの 誰ならず夜を惜しむなり
北原白秋、詩人であり童謡作家でもあり歌人でもある、数多くの詩集や歌集、学校の校歌も残している日本を代表する詩人です。
その白秋が昭和2年(1927年)8月初旬岐阜を訪れ、鵜飼見物の感興を詠んだ長歌の碑です。
その当時の鵜匠頭だった山下幹司を詠んだものですが、白秋が人を詠んだものが他になくとても珍しい歌碑です。
川端康成ゆかりの地の碑と篝火の像があります。
川端康成は岐阜を舞台に「篝火」「非常」「南方の火」の短編小説を書いています、それにちなんでこの地に碑が建てられました。
「篝火」は東京帝国大学(現東京大)文学部へ進んだ康成の初恋の実体験を基にした作品でカフェで働く七つ年下の少女に恋をし、岐阜へ移り住んだ少女に結婚を申し込むエピソードが描かれている作品です。
初恋の人を追って康成は岐阜に来たのですね、小説の他岐阜に来たと言うことが市役所前の写真館で撮った写真に残ってます。
小説を辿って川端康成の足跡を岐阜駅南の澄願寺(西方寺)から岐阜公園・長良川河畔まで廻ってみるのもいいですね。
碑を建ててから数年後に像も建てられました。
若かりし日の川端康成と初恋の人伊藤初代の「篝火の像」ふたり並んで、長良川にむかい鵜飼船の篝火を眺めている情景を表しています。
その他、斎藤道三公墳なるものも建てられています。
案内等ありませんのでよく分からないですが、長良川の戦いで敗れた道三公の遺品か何かを埋めたところが近くにあって、川の整備に伴い碑がここに移され建ったのでしょうか。
長良川の鵜飼の観覧に使われる船が停留してあるところも見られ、長良川沿いの散策の途中休憩スポットに良いところです。
せせらぎもあって涼を取れるところです。
長良川左岸の長良橋の上流側です。
岐阜バス「長良橋」バス停すぐです。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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