琴塚古墳
岐阜市の各務原市よりにこの琴塚(ことづか)古墳はあります。
伝えられている話で被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命と伝えられ、琴塚の名もこれに由来するそうです。
墓の築年数から若干ずれているそうですが、地元では姫様の墓として知られてます。
前方後円墳で、岐阜県内では3番目の大きさである(1位は大垣市の昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん))。
5世紀頃の古墳で、1934年(昭和9年)8月9日、国の史跡に指定されている。
金華山の南東の支丘洞山(ほらやま)から独立丘陵土山(どやま)にかけて低位台地が続きその上にあります。
平地に築かれた二重の集濠をもつ古墳で、墳丘の全長115メートル、後円部の直径68.6メートル高さ10.5メートル、前方部の幅72.2メートル高さ7.5メートル。
内濠の幅18~32メートル、内堤の幅10.5メートル、外濠の幅7.2メートルである。
この古墳は、桶山・南塚・土山の各古墳とともに前方後円墳群を形成している。
古墳時代の前方後円墳は、前方部が次第に広さと高さを増し、やがて後円部をしのぐ幅とこれに近い高さを持つようになり、つくり出しは定型化してくる。
琴塚古墳は中期の特徴をよく現し、県内有数の規模をもつ代表的な古墳である。
現在は外濠は埋め立てられており、北西と東側に痕跡は残っている。
内濠は築造時のままであるが、未発掘のため内部構造は不明である。
墳丘の両側に造り出しが対称に設けられている、定型化が進んだきわめて整った形をしている。
出土遺物も円筒埴輪の一部が知られているのみで詳細は不明である。
現地にある教育委員会の案内看板には以上のことなど書かれています。
現地に行くと樹木が茂っていて、古びた公園はあるものの長くいたいような感じではなかったです。
状態の良い古墳と言うことらしいのですが、前方後円墳の形も上から見ないと分からないですし、外周を歩くにも分かりにくいです。
地元の人に古墳にまつわる話を聞いた人が居てそのHPによると、昔祭をしようと鳥居を建てようとした時、突然嵐のようになり家に逃げ込んでも、中まで雨が降り込んで畳が濡れたそうです。
しかし、鳥居を建てようとした近所の人達だけの家が被害にあい、離れた集落は嵐のようなことはなかったそうです。
その大昔にも同様なことが起こったらしく、それ以来古墳には掃除くらいにしか入らず、誰も入らなくなって現在のように木が生い茂って静閑なところになったそうです。
国史跡となって大切なところなのですが、公園などは整備して訪れた人などに分かりやすい物などがあると良いと思います。
上空からの写真岐阜市のHPより
岐阜駅より 岐阜上之保線、八幡線、大洞団地線、「琴塚」バス停 下車約5分

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
コメントを残す