震災紀念堂
今年の3月11日東日本大震災が起きました、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また被災された皆様そのご家族・ご親戚・ご友人・ご同僚方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
岐阜でも過去大震災があり、その事を伝える場所があります。
明治24(1891)年10月28日(水)午前6時37分、本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)を震源地として発生しました。
地震のエネルギーは、M8.0以上(阪神淡路大震災M7.2、関東大震災7.9)で、世界でも最大級の内陸直下型地震で、31日までに烈震4回、強震40回など余震は720回を数えました。
県内で死者4,889人、全壊・焼失家屋88,011戸を数え、現岐阜市域(柳津地域を除く)で死者1,380人、被害家屋19,701戸に上りました。
その時の県内の死者を供養するために建てられたのが、震災紀念堂です。
お堂は震災の2年後、第1回の衆議院議員に岐阜より当選した天野若円(あまのじゃくえん)氏が寄付を募って建立しました。
浄土真宗本願寺派の僧籍を持つ天野若円は、明治23(1890)年の第1回衆議院議員選挙に還俗して立候補、当選しました、天野は帝国議会開会と同時に、愛国と仏教精神の高揚を願い、本部を岐阜に置く政党・愛国協会を設立しました。
翌年濃尾地震が発生し、愛国協会の事業として政財界有力者の賛同を得、全国から寄付を募り紀念堂を建立、明治26(1893)年10月27日の開堂式にあたって、本願寺から本尊の寄贈を受け犠牲者の霊牌と死亡人台帳を安置し法要を行いました、愛国協会は全国に広がり会員は11万人を数えましたが、若円没後は次第に衰退していったそうです。
しかし、紀念堂は地元の人々の協力の下、天野家によって維持管理され、現在も祥月命日はもとより毎月28日にも法要が執り行なわれており、昭和15(1940)年震災50年忌、平成2(1990)年には100年忌が営まれました。
去年の2010年は、120年の忌法要にあたり震災紀念堂に入ったことがないので行ってみました。
私もこのお堂があることを知ったのは、つい2年くらい前です、岐阜の方も知らない人が多いと思います。
法要の他、岐阜市歴史博物館の学芸員の「濃尾震災と天野若円」と、岐阜高専の教授の「震災紀念堂の建築について」の講演も行われました。
岐阜市は昭和20年に空襲で焼け野原になったそうです、このお堂はその戦火でも燃えることなく現在も当時の姿で残ってます。
普段は閉ざされていますが、毎月月命日の28日(午前10時)は誰もが入れます、自由に参列出来るそうです。
紀念堂は同種の建物として日本最初のものであり、外観・内部とも浄土真宗本堂形式を基調としている、平成18年(2006)年8月3日に造形の規範になっているものとして、国の登録有形文化財に認定されています。
平成17~19(2005~2007)年には耐震補強工事を行いました。
東北震災の余震と思われる物も続いていますし、日本各地で地震が起きていて、私達もいつ知れず起こるかも知れない大地震に戦々恐々しているところではないでしょうか。
ここは、震災紀念堂と書きます、関東大震災の慰霊施設は震災記念堂と書きます。

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