瑞林寺
岐阜で大仏というと、岐阜市の正法寺にある岐阜大仏を思い浮かべます。
日本三大仏でサイズも歴史もしっかりある大仏です、岐阜に他の大仏はないかと廻りましたら美濃加茂に蜂屋大仏というのがあると言うことで行ってきました。
寺の入口に美濃加茂市名で寺紹介が書いてありました。
この寺は、龍雲山瑞林寺と称し臨済宗妙心寺派に属しています。
文明年間(1480年)に、仁済和尚がその師悟渓国師を請じて開山ました。
仁済和尚は、足利将軍「義稙」(よしたね)に蜂屋下記を献上「柿寺の称号と寺領十石を受け、以来、寺は秀吉や家康へも献上し、寺領を安堵され、蜂屋の住民も諸役が免除されました。
また、文化財が多くあり、絹本著色涅槃図(けんぽんちゃくしょくねはんず)・聖観音座像附胎内仏(しょうかんのんざぞう、つけたいないぶつ)・聖観音座像附胎内仏(しょうかんのんざぞう、つけたいないぶつ)・弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)などの県指定や市指定の文化財があります。
蜂屋柿の歴史と共に昔から蜂屋の人々の心のよりどころとして親しまれているお寺です。
そう言えば蜂屋柿は高級品として今でも蜂屋の名産になっていますね。
お寺に入れていただいて、正面の所にも寺と柿につてい書いてありました。
端株寺には蜂屋柿の献上にともなう特権の由緒書が数種類あります、家康に献上したことが記されています。
元禄七年(一六九四)二月の史料には、権現様(家康)に柿を献上し喜ばれ、諸役御免の特権を授かったというものです。
延享二年(一七四五)の文書では足利一〇代将軍の義稙、同一二代将軍の義晴、豊臣秀吉の名前が取り上げられています。
義稙から「柿寺領十石御寄付」されたことも記されています。
明治元年(一八六八)の文書には慶長八年(一六〇二)に端株寺の文書は焼失したこと、文明年中足利七代将軍の義勝へ端林寺開山の仁済禅師が枝柿を献上したとされます。
しかし、文明年間の足利将軍は八代・義政、九代・義尚でした。
由緒書の内容は、時代が下るたびに献上相手が遡るため、当時の歴史認識に曖昧な点がうかがい知れます。
蜂屋柿と歴史がある寺だということが分かります、目的は大仏だったのですが柿が食べたくなりました。
本堂から左手の方に大仏殿になるのか、そちらに大仏がおられました。
写真だけだと分かりにくいですが、3メートルくらいの高さです。
観光協会のHPに、蜂屋大仏と呼ばれている「木造弥勒仏坐像」は、もともと末寺の大興寺に安置してあったのを復元したものであるが、戦国時代に織田信長が攻めてきた折、首を抜いて土中に埋めたとの伝説が伝えられている。
と書いてありました、ここにも織田信長公が関与してたのですね。
境内の雰囲気もとても良く、和風庭園でとても落ち着きがある所です。
私の行った時期が違いますが、境内の桜の良いそうです。
ここ瑞林寺の2本の桜(ソメイヨシノ・枝垂れ桜)は境内横にひっそりと立っています。
美濃加茂インターより西に1Km弱の所です。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
コメントを残す