岐阜公園
岐阜公園の真ん中辺り、噴水からロープウェイに行く通路の左、藤棚のある近くに「狂俳発祥の地」と書いた碑がある。
裏側に、
伊勢山田の人三浦樗良は、蕉風漸く衰えんとするを憂い冠句と言う十二字調を創案し
安永二年岐阜の地に滞在、厚見郡今泉村在初代細味庵東坡に教伝されたるに始まる
東坡は之を深く研究し俳諧に準じて形態を改め前句と呼称し更に天保年代に現在の狂俳と改称するに至る
爾来細味庵並に八仙斎の二宗家により県下はもとより広く東海各地に伝へ今日の隆昌さを見るに至る
憶うに狂俳は世界の最短詩にして極めて文質彬々たる格調高い文芸と云うべく
今回同好会の会員相計り由緒ある此の地に永く後世にその由来を伝えんとする所以なり
と、書いてある。
今から約230年前、伊勢の国から岐阜へやって来た三浦樗良(ちょら)がはじめて江戸時代に「狂俳」と名が付いた。
そもそも、狂俳とは、あまり聞かない言葉ですね、いったい何?
広辞苑によると 「濃尾地方などに多く行われた冠付(かむりづけ)の一種、五文字(ごもじ)が字数に拘泥しないのに比べて、これは五・七・五の俳句調で意味は簡単」 とある。
同種の言葉として,川柳・狂句・雑俳 などがあるが,いずれも 俳句と同じ 五・七・五 の形式をとり,季語はなく,内容は風刺や滑稽味を主眼としているもの。
俳句が芭蕉らによって芸術の域にまで高められると,それに対する“雑俳”という形で遊びの分野で定着し,更に大衆化されたもの。
狂句は川柳とほぼ同義語で,最近はあまり使われない。
“冠付”というのは,題として出された上5文字に 中7文字・下5文字をつけて1句に仕立てるもので,江戸時代・元禄のころに始まる。“前句付”とも呼ばれ,上方では“笠付け”ともいった。
と、調べてみると分からない言葉で書かれてたりしてよく分からない。
ともわれ、お題に対して、五七または七五の十二音で自然や人情、その他森羅万象を短く切り取る、日本一短い詩だそうです。
軽妙、洒脱が身上で庶民の言葉遊びで広まったみたいです。
岐阜県内に、狂俳の愛好家が多いみたいですね、活動がたまに新聞などに載ります。
下呂温泉の夏の風物詩に狂俳行燈というものがあり、川縁に100個の狂俳が書かれた行燈が飾られるそうです。
去年の作品で、「年頃」というお題に対して「紅と鏡が離せない」とか「妖艶」「男を口説く爪磨く」等自由な作品があったそうです。
でも12文字っていう短い言葉の中で、いろんな想いや景色を表現するのって難しいですよね。
でもそこが狂俳の醍醐味なんです、と愛好家はおっしゃるそうです。
と言うように、岐阜を中心に発展してきたことから、岐阜調狂俳とも呼ばれるそうです。
そんな狂俳の発祥地に行ってみませんか。
その他岐阜公園にはいろんな句碑があります。

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