淨音寺
落語の祖と言われる人物をご存じでしょうか、安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)という人物。
落語と言えば、江戸落語・上方落語と古典芸能で東京都か大阪とかで発展していますが、その祖と言われている人が岐阜で生まれたと言われています。
戦国時代から江戸時代前期にかけて生きた、浄土宗西山深草派の僧です。
1554年に美濃の国、岐阜市山県辺りで生まれたとされています。
父は、美濃の武将土岐可頼(ときよしより・または金森定近)で、兄は飛騨高山城主金森長近です。
策伝は、7歳でこの淨音寺で出家し僧侶の道を歩むこととなりました。
11歳のときに京都に行き、京都禅林寺(永観堂)に転じ智空甫叔に学びました。
天正年間(1573年-1592年)、中国地方に行き備前国大雲寺などを創建したと伝えられています、その後1596年に淨音寺に戻り25世住持となりました。
17年間この岐阜にいて、淨音寺や「信長公と将軍の会見の場」でレポートしました立政寺を守りつつ、茶道や文学人として名を高めていきました。
60歳になった時、京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)となり、10年後紫衣の勅許を得た後、塔頭竹林院に隠居し、茶室安楽庵で余生を送ったそうです。
淨音寺とは、1226年西山祖善慧国師(ぜんねこくし)が西谷法興淨音上人(さいこくほうこうじょうおん)らと信州へ向かう途中、この地に立ち寄り、信州の豪族であった斉藤国政の依頼で寺を建立しました。
1229年淨音上人によって本寺院が開山されました。
京都にある永観堂禅林寺を総本山とする、浄土宗西山禅林寺派の寺院です。
淨音上人が初代住職となり、上人の没後、西谷山大徳院淨音寺と改められました。
濃尾大震災のとき古文書の大部分が失われ建物も崩壊しましたが、柱などを再利用して現在の本堂が再建され現在に至ってます。
策伝和尚が落語の祖といわれるのは、説教の話の名手で話の最後にいわゆる「オチ」をつけて庶民に仏の道を分かりやすく説きました。
そのような、さまざまな落とし咄や教訓話を集めた「醒睡笑」を書き上げ、これが後生落語に大きな影響を与えたと言うことからです。
策伝の生きた時代背景は、生まれた頃に斎藤道三公から子の義龍に家督が継がれた頃から、徳川家光が3代将軍になった頃に「醒睡笑」が完成してそれから19年後に亡くなりました。
岐阜ではその策伝にちなんで、毎年全日本学生落語選手権「策伝大賞」が開催されています。
今年度も平成23年2月26日予選会、翌日27日に決勝が行われます。
そんな落語ゆかりのお寺を訪ねてみませんか。
岐阜駅より岐阜バス高美濃線中濃庁舎・美濃行き、三輪バス停下車徒歩約10分です。

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