中山道美江寺宿
中山道の開設、徳川家康は関ヶ原の戦いで天下を制すると、道路の整備に着手しました。
慶長6年に東海道を定め、翌年に中山道を幕府の直轄地としました。
江戸と京都を結ぶ街道が東海道と中山道であって、海辺の東海道に対し中山道は山岳地帯を通過する山道です。
道は厳しく難所がありましたが、夏は涼しく四季の変化や野趣に富み旅を楽しむ街道でありました。
寛永14年(1637)赤坂宿と加納宿の間に美江寺宿が設けられた、この時幕府領であったが同16年に加納藩領に復した。
この地は低湿地で、しばしば洪水に襲われました、長雨が続くと長良川の逆水で宿前後の通行に難儀するところです。
美江寺村に隣接する呂九村は揖斐川の渡しがあり、織田信長公らの武将は呂九村に諸役を免除するなど保護を与えているように、この地は交通の要所であった。
美江寺を挟んで赤坂宿と河渡宿との間は約6里で、当時の人にとっては1日の行程であり、ほとんど宿泊を要しない「間の宿」と言われた。
本陣は宿駅設置の寛永14年より32年後の寛文9年に建設されました。
美江寺宿には美濃16宿の中で河渡宿と共に脇本陣はありませんでした。
建設当初の本陣は小規模な建物でありましたが、姫宮の通行に伴い建て増しなどが行われました。
建物は明治24年の濃尾震災で倒壊した為再建されましたが、この建物も老朽化して平成3年に改築しました。
現在は本陣跡として道標が建てられています。
中山道の大行列と言えば、加納宿のレポートでも書きましたが、皇女和宮の大行列です。
この美江寺では小休止だったそうです。
とは言え、一行が通過したのは4日間かかったそうです、宮の通行に関して見物の禁止・男性は目に触れるところ出ることを禁止など細部にわたり禁止事項が命令されました。
美江神社の境内に美江寺宿跡の碑があります、その奥に美江寺観音があります。
寺伝によれば、創建されたのは養老7年(723)の奈良時代です。
その後、戦国時代の天文18年(1549)頃斎藤道三公が岐阜に移したと言われています。
美江寺のご本尊は十一面観音で奈良時代後期に作られた物とされ、美濃にあるもので最古です。
現在の美江寺宿は、河渡宿方面から樽見鉄道を越えたところに北方谷汲方面との道標があって、それから美江神社まで西に行きそこから直角に曲がる感じで南に向かいます。
南に行くと本陣跡があります、そこから少し南に下ると赤坂方面と墨俣方面の道標があって、中山道は西に折れます。
川の手前に千手観音堂があります、中山道犀川通りの難所を通行する人々の安全を見守っています。

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