岐阜城
岐阜城の3回目レポートです。
千成瓢箪
豊臣秀吉が木下藤吉郎と呼ばれて頃(赤影みたいだなぁ)の1567年に蜂須賀小六などわずか7名を従え、岩戸から稲葉山城(のちの岐阜城)のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄を伝えました。
藤吉郎はその時、城兵を倒した槍に越に付けていた瓢箪を槍先に付け、槍を振り回し勝ちどきをあげたと伝えられています。
それ以来、千成瓢箪の発祥地となっています。
階段を上がっていくと、お堂があります、その先には、国土地理院の三角点があります。
福閻魔大王
何で金華山の上に閻魔さんがいるのか不思議に思う方もいるかも知れません。
金華山に奉安されたのは昭和50年9月の頃です。
しかし元は1358年土岐頼康が守護職として美濃の地に進出し、岐阜市下川手に「革手城」を築いたときの鬼門除け・美濃の繁栄を祈願して堂を建て閻魔大王を安置したと伝えられています。
おかげで土岐家は11代も続き閻魔大王に守られてきました、関ヶ原の戦いの後この像は、僧職の家の沢田家によって代々保管されていました。
土岐家の執権を相続したのが斉藤道三公であり、その居城であった岐阜城に霊験あらたかな閻魔大王像を奉安して、岐阜市の守護にと沢田家より寄進の申し出があって、岐阜城二の丸跡に安置されました。
市の重要文化財に指定され、市の鬼門よけとして現在に至ってます。
金華山がパワースポットである由縁がここにもあるかも知れません。
ここで、閻魔大王と聞いて「恐い」と言うイメージがわきますね。
閻魔大王は、人の生存中の行為によって罪の軽重を審判する地獄の大王です、死者の生前の罪を書き記したものがいわゆる「えんま帳」です。
学校で先生が持っていた、えんま帳はもちろんここからきています。
先生も昔は恐いというイメージでしたね。
ここにある像は、そのイメージと違い、福徳円満な笑みをたたえた木造の独尊像だそうです。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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