伊奈波神社
産土神(うぶすなのかみ)とは、現在は産土神と氏神と鎮守神の概念がごちゃごちゃになってしまいましたが、産土神はそこの土地の神さまで、地主神と思って頂ければいいでしょう。
主祭神は垂仁天皇の第一皇子で、この地の開拓神である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)です。
前にレポートした、橿森神社の父に当たるのが、この伊奈波神社(いなばじんじゃ)です。
妃の淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)、母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、外祖父の彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)、臣下の物部十千根命(もののべのとちねのみこと)を配祀する、これらの神を伊奈波大神と総称するとなっています。
神社に伝わる縁起によると、五十瓊敷入彦命は朝廷の命を受けて奥州を平定したが、一緒に同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬んで、命に謀反の心ありと嘘偽り、朝敵として攻められてこの地で討たれました。
景行天皇14年、命のご偉徳を思い稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に祀ったのが始まりです。
それ以来1900年あまりの長きに亘り岐阜の「心のふるさと」として親しまれています。
この地に移ったのは、1539年斎藤道三公が稲葉山(岐阜城)を居城とした時、神の上に城があってはまずいとして現在の場所へ遷し奉りました。
伊奈波神社は、山の斜面上に建てられていて、本殿に行くまでスロープ階段を何段も登らないといけません。
しかし登るに連れて、凛とした空気に触れ心休まる思いがします。
正月の初詣は岐阜で一番賑わいますし、FC岐阜や甲子園に出場する岐阜市のチームはここで必勝祈願をします。
伊奈波神社の年間行事で初詣と共に一番賑わうのが、例大祭神幸祭いわゆる「岐阜まつり」です。
道三まつりと混同している方が多いですが、別物です、共同開催をしているだけです。
「岐阜まつり」は、岐阜市民の氏神である伊奈波神社や金神社をはじめ、市内の神社が毎年春に行う例祭です。
市民もまつりを楽しもうと始まったのが「岐阜まつり」の由来で、昭和中期頃までは、岐阜まつり当日は市内の隅々までまつり一色に塗りつぶされ、市内の各町内では、大人も子供もこぞって神輿を担いだり、各家庭ではご馳走をつくり親族を招くなどしてお祝いをしたそうです。
伊奈波神社の賑わい行事である神幸祭、宵宮は、毎年4月の第一土曜日に開催されています。
神幸祭は、御発幸(ごはっこう)の式事の後、神輿を中心に、獅子・猿田彦・社名旗・五色旗などが、正装した神官たちの行列に守られながら、金神社・橿森神社・北野神社・赤口神社を華やかに巡幸します。
各神社で神事の後神官たちにその神社より、お茶お菓子が振る舞われます、余ったものは参列した人達にも分けて貰えますので、神社で待ち伏せしてるのも良いですよ。
宵宮は、満開の夜桜と提灯の灯りがともる伊奈波神社参道に、近くの町内から曳かれた山車4台(市重要有形民俗文化財指定の踊車(おどりしゃ)蛭子車(ひるこしゃ・えびすしゃ)安宅車(あたかしゃ)清影車(せいえいしゃ))が列をなします。
山車の上ではカラクリが披露され、繰り出された本神輿の奉納や仕掛け花火の打ち上げ等もあり、参拝者と花見客で境内が多くの見物客で埋まります。
戦前までは、20数台の山車が伊奈波神社参道に列をなし、たいそう賑わったそうです。
参道の枝垂れ桜と境内の桜は桜の名所です、暖かくなった3月終わりから4月初めに見頃となりますから、町巡りの途中にも寄ると良いと思います。
他、お茶会などもよく行われています、結婚式披露宴を行えるところもあります。
伊奈波神社は岐阜駅よりバスで岐阜公園ながら橋方面行きで約10分、「伊奈波通り」下車徒歩5分です。
所在地は岐阜市伊奈波通り1の1、電話(058)262‐5151です。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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