瑞甲山 乙津寺
乙津寺(おっしんじ)と言う名前ではありますが、鏡島弘法とか弘法さん、梅寺と言う名前で親しまれています。
乙津寺は歴史が古く、行基菩薩(奈良時代の僧)が天平10年(738年)草庵を築いたのが始まりと伝わっています。
その後、嵯峨天皇の勅命を受けた弘法大師が、この地に来られ寺を建立し乙津寺と名付けました。
梅寺と言われるのは、弘法大師が御堂のまえに杖を差し、「仏法この地に栄えれば、この杖に枝葉が栄えるだろう」と仰り、すると杖が梅の木になり枝葉が出たことら由来しています。
水害や地震などを経て昭和20年の空襲によって境内の本堂、庫裡、宝庫、古文書、史料等を焼失してしまいました。
本尊十一面千手観音像、毘沙門天像、韋駄天像は本堂から庫裏の裏にある土蔵に移動し消失を逃れました。
昭和28年に国宝安置殿が建てられ、大師堂は昭和33年(1958)秋に完成しました。
大師堂の前に「日本三躰厄除弘法大師」と書かれた碑が立っています、これは京都の東寺、神奈川県の川崎大師(平間寺、へいけんじ)と並び「日本三躰厄除弘法大師」の一つに数えられているそうです。
太子堂横に国宝安置殿があり国宝級の像があります。
元々国宝に指定されていましたが、法改正に伴い国重要文化財に指定されました。
・木造千手観音(十一面千手観世音菩薩)立像 (平安時代)
・木造毘沙門天立像(平安時代)
・木造韋駄天立像(鎌倉時代)
この重要文化財を見るだけでも価値があると思います。
縁日の日などボランティアの方がみえて詳しく説明を聞くことも出来ます。
千手観音は仏教における信仰対象である菩薩の一つで子年生まれの守り本尊です。
千本の手はどのような衆生(生命あるものすべて)をも漏らさず救済する、観音の慈悲の広大さを表わし、危機に際してはその手を差しのべ、すべての衆生を救う大慈大悲の菩薩です。
毘沙門天(びしゃもんてん)は仏教における天部の仏で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神です。
また七福神の一尊とし、幸福の神であり特に勝負事に利益ありと崇められます。
韋駄天(いだてん)は仏法の守護神で、特に伽藍(がらん・僧侶が集まり修行する清浄な場所)を守る神、また小児の病魔を除く神であります。
よく走る神として知られ、このことから足の速い人は「韋駄天走り」とたとえられます、すばやく出現して救済の手を差し伸べる信仰があります。
(乙津寺公式サイトより)
長良川の鵜飼は1300年の歴史があります、その記述が書かれている「藤川の記」文明5年(1473年)の一条兼良の旅行記。
その一条兼良の正室の墓がこの寺にあります。
そしてここが一番賑わうのが、弘法大師の月命日に当たる毎月21日です。
縁日が催され、中山道からここの参道まで露天が出て人でいっぱいになります、また中山道は一方通行になります。
午前5時から参拝があり11時から大般若の読経があります。
歴史あるお寺と賑わう縁日を楽しんでください。
名鉄岐阜駅・JR岐阜駅から岐阜バス「G51西鏡島」行などで16分片道200円「鏡島弘法前」下車です。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
コメントを残す