中山道加納宿
中山道加納宿、江戸時代の五街道の一つで本州中部の内陸側を経由する路線の中の53番目の宿場。
中山道の宿場は69あって、加納宿はその中でも5番目で県内最大の大宿であった。
本陣1件・脇本陣2件・旅籠35件が在ったそうです。
本陣とは江戸時代以降の宿場で大名や旗本・幕府役人などが使用した宿舎の名称で、脇本陣は本陣の予備的施設で、大きな藩で本陣だけで泊まりきれない場合や、宿場で藩同士が鉢合わせになった場合の格式の低いほうの藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用されました。
岐阜市の大半は太平洋戦争で焼けて昔の建物など残っている所が少なく、この中山道も道標が残っているだけの所が多いです。
その道しるべを辿っていきましょう。
鵜沼宿方面より来て、御鮨街道との分かれ道茶所駅西側に「ぶたれ坊」と道標があります。
目印は薬屋さんの南側です。
ぶたれ坊というのは、江戸時代の相撲力士「鏡岩浜之介」にちなむものです。
伝えによります、二代目鏡岩は父の職業を継いで力士になりましたが、素行が悪くそのことをを改心して寺院を建て、ぶたれるために等身大の自分の木像を置いて罪滅ぼしをしたそうです。
また、茶店を設けて旅人に茶をふるまったそうです、そのことからこの付近を「茶所」と呼ぶそうです。
そのお寺「妙寿寺」は廃寺となり現在はありません、ぶたれ坊の像は岐阜駅南口に近い加納伏見町の「妙泉寺」に移されているそうです。
少し西に行くと「だんごや」がありここで北に行きます。
ここのだんごやさんには中山道加納宿文化保存会作成のウォーキング案内がありますので、参考にしてください。
レッツにお店のクチコミがありますので参考まで、だんごやのだんごを食して中山道を歩きましょう。
中山道はここより北に行きますが、ここの西には加納八幡神社があります。
岐阜城を廃し加納城を築造したときにここに移し、鬼門除け守護神として奉ったとされています。
だんごやを北に行き橋を渡ってすぐに、明治時代に置かれた道標があります、ここを西に行くと東番所跡があり加納宿となります。
このあたりはカギ状に曲がりくねっている所です。
少し直線的になってきた所に、岐阜市指定重要文化財専福寺文書がある専福寺があります。
ここには戦国時代を中心とした文書が多数残っています、織田信長朱印状・豊臣秀吉朱印状・池田輝政制令状の3通が岐阜市指定重要文化財に指定されているそうです。
そこから西に向かうと問屋跡があります、全国より岐阜に出入りする商人などの荷物運搬を引き受ける荷物問屋です。
ここも御鮨街道との共用街道でここの問屋を経て笠松に向かいました。
もう少し西に行くと道標があります、御鮨街道との分岐です、北を見ると名鉄電車の踏切が見えます。
北にぎふ道、東に東京道、西に西京道と書かれています。
長くなりますので今回はここまでとして、加納宿②で本陣跡のことをレポートします。
道標を頼り歩いてみてはいかがでしょうか。

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