道三塚
岐阜メモリアルセンターの北側に「道三塚」があります、長良川の戦いで敗れた道三公が埋葬された地です。
とは言え、初め埋葬された地は崇福寺の西南でしたが、長良川の氾濫で度々流されたりしました。
斉藤家の菩提寺である常在寺の住職が現在のこの地へ移し、碑を建てて霊を慰めました。
長良川の戦いは、鷺山城の道三公と稲葉山城(岐阜城)の息子義龍の長良川を挟んだ戦いです。
鷺山、金華山より北東にある岡みたいな小さな山です。
斎藤義龍は道三公の嫡男として生まれた、しかし一般的な話として道三公の実子ではないとなっている。
実父は土岐頼芸と言う説もあり、この噂を利用して道三公は旧土岐氏の家臣団を斎藤氏に取り組むのに成功した、この様な経緯から道三公と達義の仲は悪かったとされている。
家臣達の策略もあり家督を義龍に譲り隠居した道三公であったが、義龍との不仲は続いていた。
しだいに道三公は義龍よりも弟達を寵愛して行くようになり、家督を孫四郎にと思うようになり両者の仲は最悪の状態になった。
義龍は弟たちを殺害して謀反を起こす、1556年長良川の戦いとなる。
道三公を支持する勢力は少なく、旧土岐氏の勢力も味方することなく大敗しその生涯の幕を終えた。
そのとき娘婿織田信長公も遅れながら救援に向かったが、道三公の死を知った織田軍は退却した。
その後義龍は病気で生涯を終えて、息子龍興が若くして跡を継ぐことになる。
龍興は織田信長公に攻められ龍興は稲葉山城を追われることとなる。
ここ道三塚周辺は開発が進んで変わってきていますが、井ノ口の町(のちに岐阜町)の基盤を作った道三公の特別な地として道三塚は残って守られてきています。
織田信長公ゆかりの寺、崇福寺も近くにあり道三公・信長公の足跡を訪れてはいかがでしょうか。
場所は長良川北側メモリアルセンターより北へ約200m、長良川球技メドウより西へ約100mの所です。
最寄りバス停は北消防署前です、バス下車5分程度で行けると思います。
岐阜駅より市内ループ線で約22分ぐらいで着きます、メモリアルセンターから行っても近いです。

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