瑞龍寺
瑞龍寺(ずいりょうじ)は、金華山の南側に位置し、粕森公園と梅林公園の間にあります。
「ずいりょうじ」と読みます、ずいりゅうじとなると、富山高岡に加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺がありますね。
臨済宗妙心寺派の寺院であり山号は金寶山です。
土岐氏の守護代斉藤利藤(斎藤妙椿)が、1468年(応仁2年)に美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山しました。
土岐成頼(ときしげより)美濃守護の8代目に当たる人物、「岐阜」と名付けたのは織田信長公と通説になっていますが、ある説によると土岐成頼が関係したと言う説もあります。
斎藤妙椿(さいとうみょうちん)八百津で僧侶をしていましたが、美濃の守護代であった兄の死後、美濃の統治にあたり守護代としてふるまいました。
土岐成頼が応仁の乱のおさまる頃京都で戦っている間、軍事力を強化し隣国など攻め入り広大な地域を支配しました。
また、妙椿は文人としての側面もあり和歌や連歌に優れ乱を逃れた公家や僧侶を保護したりしていました。
この時代の後、斎藤道三公、織田信長公の時代へと続き岐阜という名前が歴史に出てきます。
織田信長の稲葉山城(岐阜城)攻略、徳川家康の家臣福島正則らによる岐阜城攻略により焼失。
また、昭和20年岐阜大空襲により焼失する、その後伊勢湾台風によって損害を受ける。
その都度再建修復を続け、平成4年本堂改築平成17年耐震補強工事を受け現在に至ります。
悟渓宗頓(ごけいそうとん)、土岐成頼、斎藤妙椿の墓がこの瑞龍寺にあります。
悟渓宗頓国師は優れた門下生を多く育て、全国に禅の教えの素晴らしさを知られるところとなった。
現在も妙心寺派の専門道場として雲水たちの修行所となっています。
総門を入ると参道の右に、瑞雲院、鶴棲院、臥雲院。左に、天澤院、開善院、雲龍院の6つの寺(塔頭)があり、一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。
ここには岐阜市指定重要文化財絹本著色、土岐成頼像、悟渓宗頓像も保管してあります。
飛鳥時代、大和朝廷は寺院などをさかんに造営しました、地方の豪族も朝廷との結びつきを誇るかのように「氏寺」が各地に造られました。
瑞龍寺には厚見寺跡もあり、そこに建てられてあった五重の塔の礎石が残っています。
礎石のサイズからいって、五重の塔が推測されるそうです、参道横にありますのでいつでも見られます。
通常は参拝出来ませんが、ぎふ梅林梅まつり」が開催中の2日間は、本堂が特別に無料で一般開放されます。
柳ケ瀬、美殿町から梅林公園までの歩くかたらに寄ってみてはどうでしょうか、普段は見られない龍の障壁画などあります。
本堂の前の梅の木もりっぱです。
梅の季節ゆっくり歩いてみませんか。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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