常在寺
常在寺(じょうざいじ)日蓮宗の京都にある妙覚寺の末寺であります。
正式名は鷲林山常在寺といい、土岐家の守護代斉藤妙椿(みょうちん)が室町時代の1450年に建立しました。
戦国時代に入って、長井新左衛門尉と道三公2代にわたり美濃国を制する拠点とした寺である。
写真の斉藤道三公像は平成21年4月に奉納された復元模写(冨澤千砂子画)です。
国指定の重要文化財である絹本著色斎藤道三像・斎藤義龍像は足を運んで見てください。
写真もありますが見にくいですので、実際ご覧になった方が良いと思います。
通常時はレプリカが飾ってありますが、道三まつりの日には無料で見ることが出来ます。
常在寺は本堂に入るのに入館料が必要となります、写真にあります斎藤道三公供養碑は境内にありますので自由に見られます、本堂の右手です。
国盗り物語に表されている斎藤道三公は、油売りの商人から一代で美濃の国を乗っ取り、戦国大名にまで成り上がった人物だとされ下克上の代表的人物とされてきました。
近江の六角承禎が自分の子と斉藤義龍の娘の縁組みを止めるよう命じた「六角承禎条書」という物が発見され、国盗りは道三公一代で成し遂げたのではなく、父新左衛門尉と二代で達成したものと理解されています。
道三の父は京都の妙覚寺の僧侶でした、僧籍を離れ美濃守護であった土岐氏の家臣に仕えるようになり、しだいに頭角をあらわし長井新左衛門尉と改め、三奉公の一人まで出世しました。
その父の跡を継いだのが道三公で長井新九郎規秀といい、その後仕えていた長井家を打ち倒し守護代の斉藤と同じ姓を名乗り、美濃の国の支配者にのし上がりました。
その後美濃の国に攻め入る朝倉氏・織田氏・六角氏などの攻撃を受けるもの知略をもって凌ぎ、そして娘の帰蝶と織田信長との婚礼を期に織田氏と同盟関係を結び、美濃の国を安定させました。
それから道三公は息子義龍に家督を譲り鷺山城に隠居します。
1556年に義龍との不仲が頂点に達して稲葉山城(岐阜城)と鷺山城の間の長良川で合戦となり、婿の信長公の援軍も間に合わず、その戦いで命を落とすこととなりました。
斎藤道三公の人物像として、江戸時代からは極悪人として語られてきましたが、現在は強い個性を持ち、時代の先駆者・変革者としてのイメージで描かれています。
その道三の菩提寺「常在寺」を訪ねてみませんか。
岐阜駅よりバスで長良橋方面行きに乗り(約15分)岐阜公園前で下車徒歩5分強くらいです。
駐車場は岐阜公園駐車場をご利用ください。

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