織田塚
織田信長公が名を歴史に刻む前の頃の話です。
織田信長公の父織田秀信が、稲葉山城(岐阜城)の斉藤道三公を攻めて、上加納(金華山南東)辺りに陣を構えました。
稲葉山城を降りた道三公率いる斉藤軍は、夜になってから織田軍を囲み奇襲かけた。
不意をつかれた織田軍は、右往左往するだけで惨敗し尾張へ逃げ帰りました。
その戦いで亡くなった兵士の数は、数千とも言われています。
(パンフレット等に記載されている数にばらつきがあります)
その戦死者の中には、犬山城主・織田信康(信長公の叔父)や織田家の重臣が含まれていました。
その戦死者の屍を集め葬り弔ったのが、この織田塚です、初めは物見塚と呼ばれていたそうです。
場所は、徹明町の交差点(長良橋通りと東西通り)より東へ150m位へ行き、南に50m行った東側にあります。
織田塚のあるここは、住宅地内にひっそりとあり、一見見逃してしまうような場所にありますので注意してください。
そして、織田塚と呼ばれるものがもうひとつあります。
ここより南西に200m(直線)位行った、信長公ゆかりの寺、円徳寺にある織田塚改葬地です。
織田塚があった区域内に浄泉坊(現円徳寺)があって、このお寺の移転に伴い織田塚がしだいに荒れていきました。
その後、織田塚をこの寺院の敷地内に転葬し塚上に碑を建てたと、寺には伝わっているそうです。
ここの住職さんは、毎年この戦いの命日に(9月22日)には織田塚の前でお経をあげているそうです。
その他円徳寺には信長公ゆかりのものがあり、現在はこちらに訪れる方が多いと思います。
岐阜市内いろいろ信長公ゆかりの足跡がありますので、のんびり辿ってみてはいかがでしょうか。
写真1:織田塚 写真2:建物に挟まれた所にあります 写真3:円徳寺の織田塚

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