岐阜公園
岐阜城の麓、市民の憩いの広場でもある岐阜公園は、街の中にあって四季折々を感じ取れ、歴史的にも有名なところです。
園内には、歴史博物館・名和昆虫博物館や信長居館跡・三重の塔などあり芸術・歴史の興味のある方も楽しめます。
歴史博物館横の正面入口を入ると、噴水がありそこからの金華山岐阜城のロケーションも素晴らしいです。
そのまま進むと、岐阜公園来園者休憩所があり、その横に板垣退助像があります。
最後の百円札でも知られる板垣退助は、ここで歴史に残る名言を発せられました。
自由党総裁であり岐阜公園内にあった中教院で遊説し、そこから出たところで暴漢に襲われ、倒れ間際に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったとされている。
この話を知っている人は多いですが、それがここ岐阜公園だとは知らずそれにそれで死んだと思っている人がいると思います。
傷は浅く死ぬほどの傷ではなかったです、それに残した名言も後から脚色が付いて有名になったもので、実際は「痛いので、医者を呼んでくれ」と高知弁で言った説もあります。
銅像の立っているところは刺された場所でなく、中教院は一番北にある茶店とロープウェイ乗り場に行くスロープの間位に有ったそうです。
そしてそこを北に行くと、若き日の信長の像がありその横に冠木門があります。
その像は北村西望(きたむら せいぼう)が作成した物で、有名な物に長崎の平和公園の平和祈念像があります。
信長向いている方向は、西で京の方向を見ていると言われています。
冠木門は釘を1本も使って無く作られていて、信長の居館が建てられていた頃の雰囲気を出す為に建てられました。
そこを登っていくと居館跡があります、居館はなく居館に通じるであるうとした巨石、石積みが残っているだけで千畳敷下と呼ばれる広場になってます。
そこで信長祭りの騎馬行列の跡、鉄砲隊の演技が行われます。
ここの奥に宣教師ルイスフロイスが「清々しさ・美しさ・豪華さ・清潔さにおいて、この宮殿に並ぶ物は見たことありません」と書き残した、居館の発掘調査が進められてます。
階段跡、火災にあった建物跡などが発見され、発掘調査の所も見学出来ます。(調査日確認のこと)
発掘調査が終わり、居館跡の確認が終われば、ここに信長の居館を再現する構想もあります。
岐阜城に行くには、岐阜駅からだとバスが結構出ています、長良橋方面行きに乗り岐阜公園前で降りて下さい、約20分くらいです。
また、岐阜のまちなかをゆっくり歩いて行くのも良いでしょう、途中、柳ヶ瀬や信長ゆかりのお寺、神社などがあります、1時間ほどで着きます。
岐阜公園に行くと、岐阜市まちなか案内人というボランティアで案内をしてくれる人がいます。
気軽に声をかけてもらえば、スムーズに岐阜公園やその周辺を案内してもらえます、無料です。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
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