芭蕉のむくげ塚・蓮国寺 前にもレポートしましたが、岐阜県にも松尾芭蕉の足跡があります。 大垣市には奥の細道結びの地、岐阜市では1か月も滞在してあちこちに訪れた形跡があります。 笠松にも芭蕉のむくげ塚と言うところがあります。 昔、笠松には俳人である松尾芭蕉の徳を慕い俳句を詠む人が多くいました、ここの蓮国寺の住職など6人の俳人も … [Read more...] about ここにも芭蕉の足跡?
観光
県の中心になるはずだった
笠松陣屋・県庁跡、この場所にある案内看板には、以下の言葉が書かれています。 「笠松陣屋・県庁の跡 笠松陣屋は美濃郡代名取半左衛門長知が、江戸時代初めの寛文二年(一六六二) に「笠町」を「笠松村」と改め、この地に置きました。 陣屋は笠松県庁になるまでの二百年間、美濃国内の幕府領の支配と治水を行 … [Read more...] about 県の中心になるはずだった
御鮨?鮎鮨?
鮎鮓街道・笠松問屋跡 御鮨街道も鮎鮨街道も同じです、笠松町では鮎鮨街道と言うことが多いです。 岐阜市内では御鮨街道と言ってます。 観光のお客様で、御鮨街道と聞いてお寿司屋さんが沢山ある街道と間違えてる方がおみえですがお間違えないように、御鮨を運んだ街道です。 まぁ岐阜の養老に焼き肉街道と呼ばれる所などがあるか … [Read more...] about 御鮨?鮎鮨?
大洪水の後
笠松湊 天正14年(1586)6月24日未曾有の大洪水により、木曽川の河道が現在の流れに変わりました。 それまでの河道は、前渡(各務原)より北西に流れ中屋(各務原)、芋島・中島(岐阜)を経て、岐阜市と岐南町の境を流れる境川に沿って大きく蛇行し、笠松町の北西から柳津町へ流れ長良川に注いでいました。 天正14年 … [Read more...] about 大洪水の後
笠松を語り継ぐ建物
まちの駅 杉山であい邸の駅 まちの駅 … [Read more...] about 笠松を語り継ぐ建物