
2020年大河ドラマ麒麟がくる、最初の場面は明智荘(あけちのしょう)でした、そこを見渡せる場所に明智城があります。

明智城は、可児市瀬田長山にあった城です、張り出した尾根や谷などの自然地形を生かした典型的な中世の山城であります。
康永元年(1342年)美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼(よりかね)が明智と改名してこの城を築き、その後約200年の間、明智氏代々の居城として栄えたました、別名長山城または明智長山城と呼ばれています。

明智城は恵那市明智町城山とここ可児市瀬田長山にあります、どちらが明智光秀出生の城と言われていますが、それを裏付ける資料はないそうです。

美濃国諸旧記には、康永元年(1342)長山に土岐頼兼が城を築き、弘治2年(1556)に明智光秀の叔父光安・光久が城主であった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとする、とあります。

弘治2年(1556年)9月19日、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け、明智城代明智光安は弟光久と一族のら870余人を集めて籠城したそうです。
しかし義龍軍は3700余の軍勢で2日間にわたり攻撃を行い、光安は光秀に明智家再興を託し弟光久と自刃し、妻妾も落城前に自刃したと言われています、そして光秀の流浪時代の始まりです。

明智城跡の北側が広く開けている明智荘の農地があった感じに思われます、天龍寺近くから城跡まで散策道としてハイキングなどで利用されています。
南側は丘陵地の住宅地となっており南からも明智城跡に行けますが、北側からは大手門があり当時の雰囲気はあります。

城跡は縄張りが残ってるのは僅かです、本丸跡や曲輪・土塁などの遺構は比較的綺麗に残っていて可児市指定史跡となっています。

名鉄明智駅より南へ徒歩約25分です、駐車場は少し距離がありますが、花フェスタ記念公園かふれあいパークを利用ください。

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