
住所:岐阜市江口2-4
ジャンル:名所
長良川右岸堤防を下流に走っていると、鏡島大橋を潜って少し行くと江口公園があります、そこからすぐに看板がありました。
鵜飼発祥の地の文字が見えて、えっこんなところになぜ?と思いました。

前後を含めると、江口の鵜飼発祥の地/史跡江口のわたし、と書いてありました。
そしてそこにかかれていたのは、江口鵜飼発祥の地 岐阜長良川の鵜飼は、1300年の歴史を有します。
古代、鵜飼郷にいた鵜飼部一族により行われていた鵜飼は長良川河口の変遷により中世には、江口付近が鵜場になりました。

文明5年(1473)5月17日、京都の公家一条兼良は、美濃守護代斎藤妙椿の招きを受け、江口で船に乗り鵜飼を見物しました。
月出ぬほど、江口に出て鵜飼を見る6艘の船にかごりをさしてのぼる・・・鵜の魚をとるすがた、鵜飼の手縄を扱う躰など・・・

言のはに述べがたく、あはれともおぼえ、又興を催すものなり・・・「藤川の記」
と、中世後期の長良川における鵜飼の様子を、まことに生き生きとした文章で描かれています。
「藤川の記」にみる鵜飼の漁法や、これを鑑賞する者の情感は、現代まで変わることのない姿を示しています。

と、ありました、鵜飼の発祥は中国でそれが日本に伝わったと聞いてましたし、この発祥は長良川の移り変わりで中世頃にここで行われたという事なのかな。
長良川は暴れ川と言われたこともあり、岐阜市内でも昭和の初めまで長良橋付近から3本の川に分離されていました、その名残で黒野方に下鵜飼と言う地名が残っていてそこで鵜飼が行われていたとされています。

ここから少し下流に行くと鏡島弘法があります、そこには小紅の渡しがあり現在も運行しています。
ここ江口にも渡しがありました、岐阜市内長良川で南北に分かれていて、橋が架かるまで渡しが何か所もありました。

看板には、江口の渡し鏡島への弘法さんへとつながる道、江口渡船はいつ頃登場したかは定かではないが明治14年以前には運航されていました。
周囲を川で囲まれた島地区では、他の村へ行くにはまだ橋が無く古くから水上交通が盛んに行われ、物資は勿論、人も多くは舟で往来していた。

戦中戦後は旧市内から島地区へ食料を求め多くの人の利用がありまた鏡島弘法の命日には特に乗船者が多くありました。
鳥羽川の改修工事・忠節新橋開通により昭和30年頃その役目は終わりました。と書かれています。


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