
長良川沿いで山に囲まれた静かな場所に面白い遺跡が在りました。
塚原遺跡が発掘されたのは昭和29年の事です、縄文中期の竪穴建物跡が1軒発見されたのが始まりです。

昭和36年の古墳の分布調査では、37基の古墳が確認されました、昭和62年に遺跡全体の2/3にあたる約5,000㎡の発掘調査が行われ、全体像が分かってきました。
時をへだてた3つの過去が重なって埋もれてたそうです。

縄文時代早期と中期、古墳時代後期の複合遺跡で、それぞれの遺跡には歴史的な繋がりが無いと推定されているそうです。
縄文時代早期の遺跡では土器や石器などの生活器具が発見されたものの、住居跡が見つからずこの地では定住していなかったとされています。

縄文時代中期の遺跡では4棟の竪穴式住居跡が発見され20~25人単位の集落だったとされます、広場に近い住居のみが大型で当時から階層分化が進んでいたとも考えられるそうです。
古墳時代後期の遺跡では37基の円形古墳が発見され、ほぼ南面に横穴式石室を設けるといった宗教観を持った集団によって築造されているそうです。

周囲には当時の住居跡がなく約120年間に渡り何度も追葬された形跡がある為、この地が神聖視された聖域だったとも考えられそうです。
現在は塚原遺跡公園として昭和63年~平成3年度に整備され、縄文時代の住居や古墳が復元され展示館には様々な資料が展示されています。

塚原遺跡は平成2年(1990)に関市指定史跡に指定され、平成20年老朽化した竪穴建物と掘立柱建物を建て替えリニューアルしました。
公園内には塚原遺跡公園展示館があり、2階の展示室には遺跡から出てきた様々な形の土器・矢じりなど展示されています。

縄文時代早期は今から約7,500年前、紀元前6,000年7,000年位の時代に一時的なキャンプ生活をこの場所でしていたと思われます。

縄文時代中期は約4,000年前、紀元前2,000年3,000年位の時代に住居がつくられ「むら」の始まりです。

古墳時代後期は約1,400年前、紀元になり1,000年位の時代に古墳だけ造られました。

東海北陸自動車道、関インターチェンジから車で約15分、千疋大橋渡ってすぐ長良川右岸を上流へ約3分です。

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