岐阜市内は長良川で分かれています。
今は、橋が何本も架かり自由に行き来できます。
明治時代に現在の長良橋付近に橋が架かり、順に各所で橋が架かり渡しはなくなっていきました。
ただし、小紅の渡しは現在も残っています、前にレポートしてますのでそちらを参考に。
橋が架かった頃は、通行料を取られていましたので、橋より渡しを利用する人は多かったそうです。
亀の渡しは、中山道と谷汲華厳寺を結ぶ、谷汲街道にあり多くのお参りに行く人が行き来しました。
この渡しは400年前からあったと言われています。
忠節橋が出来ても対岸に行くのに近いので、昭和14年頃まで利用されていました。
ここにある灯篭は、亀の渡しの常夜灯として堤防の上にありましたが、今泉排水樋門の改築工事により現在の場所に移されました。
亀の渡し伝説
昔、西荘(市橋)に住んでいた立政寺(りゅうしょうじ)の智通(ちつう)上人という偉いお坊さんが、対岸の島へ渡ろうと長良川の川岸にやってきたところ、川の水かさが多くて渡ることが出来ませんでした。
上人が困っていると不思議にも1匹の亀があらわれ、上人を招くような格好をしました。
上人が亀の背中に乗ると、亀は長良川をすいすいと横切り、無事に対岸の島に渡ることが出来ました。
このようなことから、人々は亀の渡しと呼ぶようになりました。
両岸に、自転車の車輪ぐらいの大きさの滑車をつけ、綱がはられていました、船頭はこの綱を引きながら舟が流れないように向こう岸まで渡りました。
ここは、長良川左岸堤防上です、今泉排水樋門近くです。

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