
鷺山北野神社創立年月不詳ですが、宝永7庚寅年12月11日・明治2年乙酉年9月24日・天保9年戊戌年3月25日・嘉永庚戌年12月27日再営の棟札あります。
明治44年2月17日、白山神社、八幡神社、津島神社、伊弉諾神社を合祀し水門の地に移転建設、昭和43年10月明治百年を記念し御造営をしました。

社の御祭神は、菅原道真(すがわらのみちざね) 応神天皇(おうじんてんのう) 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)伊弉冊命(いざなみのみこと)伊弉諾命(いざなぎのみこと)菊理姫(くくりひめ)です。

この神社は鷺山の東麓にあります、その東には鷺山館があったとされています、鎌倉時代の頃には城が築かれていたらしいとされています。
鷺山館とは美濃守護・土岐政房(まさふさ)の居館として、鷺山城の南東麓に築かれ、その後土岐頼芸(よりなり)の居館となりました、大河ドラマ麒麟がくるでは、土岐頼芸は義龍の父?と描かれてます。
さらに、斎藤道三公が義龍に稲葉山城を譲った後の、居館となった所です。

このように歴史の舞台に何度も登場するにも関わらず、現在、鷺山にその城跡を偲ぶ遺構は無いと言われています。
唯一、土塁と堀が残ると言われていますが、それはおそらく麓の鷺山館の遺構と思われるそうです、岐阜県中世城館跡総合調査報告書には、土塁は鷺山の東側、北野神社脇の社宅の北に記されているそうです。

そしてタイトルの金属加工団地ですが、鷺山館から東は福光城下町と言われていました。
そこには銅細工工房があり、日本最古のすずの製作所などがあったそうです。

その周辺を発掘すると、ふいご・るつぼ・銅インゴット・鉱滓付きかわらけ・溶けた銅銭などが出ています。
ふいごは、金属の加工・精錬などで高温が必要となる場合に、燃焼を促進する目的で使われる道具、るつぼは、金属をとかすのに使うつぼです。
インゴット、銭貨、スラグ等を使い合金にしたり、そのまま製品にする工程をこの場所で行っていました。
岐阜の街は信長公からの歴史が有名ですが、それ以前から凄い所だったのですね。

JR岐阜駅より、岐阜バス市内ループ線右回り(24分)左回り(27分)緑ヶ丘バス停下車北へ徒歩約5分。

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