
現在木曽川で1ヶ所渡船があります、川に橋が架かり渡船が減ってきてます。
正式には、愛知県営西中野渡船場と言い、愛知県一宮市西中野と岐阜県羽島市を結ぶ渡船です。
そこの下流にあるのが、今回のレポート八神(やがみ)渡しの跡です。

江戸時代、八神城主であった毛利氏は八神から名古屋城へ登城するため八神街道を整備し、この地に渡しを設けました。
江戸時代中期には、西にある大須渡しと連携し渡しは、八神村など近隣の住民に開放され木曽川の川湊として栄え、当時堤防上には食料や雑貨などを扱う店が多数並び賑わっていたそうです。

明治以降、渡船の経営は個人となりましたがその後に区営となり、1904年(明治37年)以降は県営となりました。
1976年(昭和51年)渡しの下流に馬飼大橋が完成し、その年3月末その役目を終え廃止されました。

八神渡船(やがみとせん)は、木曽川で運航されていた渡し船であり、八神渡しとも呼ばれてました。
岐阜県羽島市桑原町八神から対岸の愛知県稲沢市祖父江町を結んでいた。

現在、渡船場跡地である羽島市桑原町八神5277番地の1の先には史跡八神渡船の跡があり、1977年(昭和52年)に八神渡しの跡として羽島市指定史跡に指定されています。
現場には堤防上に階段はあるもの、草が生えていてほとんど使われてない感じがします。
堤防に上がっても、木曽川の水面は見えなく当時の面影はありません。

この西にある創業90年を超える魚勝は当時の賑わいに繁盛したお店です。
羽島市桑原郵便局の東、木曽川堤防です。

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