
岐阜・愛知・三重が接する場所に治水神社はあります。
祭神は、薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)及び薩摩藩士84名、神社では平田靱負正輔大人命(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)と崇めています。

神社による由緒には、江戸時代の中頃徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い普請を命じました。
薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させました。

平田靱負はこの工事の総責任者です、幕府の検分が終わった直後の宝暦5年5月25日、工事の完成を見届けた平田靱負は、美濃大牧の役館で命終されたのです。

この大工事を世に広めたのは、三重県多度に住む西田喜兵衛です、彼はこの工事の様子を世間に知らせ、犠牲者の慰霊と顕彰に邁進しました。
明治33年、近代の木曽三川の治水工事の成功式に併せて宝暦治水之碑が、時の総理大臣山県有朋公を迎えて油島千本松原に建立されました。

平田靱負を治水の神と讃える地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより、昭和13年現在の地に、平田靱負正輔大人命を御祭神とする治水神社が創建されました。
治水神社は治水に尽力された薩摩藩士の功績を讃え、平田靱負の遺徳を偲び、犠牲となった多くの藩士達を慰霊しています、と書かれています。

神社の南側には千本松原が有ります、宝暦治水工事の後で、植えられたという日向松の松原が約1km続いています。
樹齢約200年の大きな松の大木もあり、望み松など様々な名前が付けられています。

神社境内から千本松原に亘ってお散歩マップが有り、薩摩義士顕彰碑巡りなどをするのも良いです、碑が沢山あります。
一番南には近代治水百年記念碑があり木曽三川の近代大改修百年を記念し、未来につなごうふるさとの川、という願いを込めてあるそうで、昭和62年に作られました。

その北側には宝暦治水之碑正碑が有ります、表の題字は時の内閣総理大臣山県有朋で、裏に宝暦治水の犠牲者の名前が刻んであります。

養老鉄道多度駅より約3.5km、東名阪自動車道長島ICより約6km有って、車でのアクセスが良いと思います、木曽三川公園駐車場に停められます。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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