
朝倉山真禅院(しんぜんいん)は、垂井町にある天台宗の寺院です、山号は朝倉山(あさくらさん、正式にはちょうそうさん)、 かつての南宮大社の僧坊であったそうです。

寺伝によれば天平11年(739)に行基菩薩により創建(約1300年前)されました、その後2回の移転と寺名変更を経て現在に至ってるそうです。
開基の行基菩薩は自ら本尊阿弥陀如来の尊像を彫刻し、象背山宮処寺(ぞうはいさんぐうしょじ)と名付け、本州阿弥陀如来四十八願霊殺の第三十四番札所と定めたそうです。

延暦12年(793年)に桓武天皇の勅命により天台宗の開祖比叡山延暦寺の最澄(伝教大師)によって、宮処寺と南宮大社を両部習合され現在の南宮大社地に移転し、寺号を宮処寺から神宮寺と改め、天台宗の寺院となりました。(1回目の移転・寺名変更))

天慶3年(940)には美濃国中山南神宮寺において、延暦寺の僧・明達が平将門調伏の修法を行ったそうです、これにより平安時代には南宮神社に神宮寺が存在したことが明らかであるそうです。
神宮寺は近世末まで存続しましたが、明治時代初期の神仏分離に伴い廃絶しました、南宮神社内には神宮寺以外にも仏教僧の住む坊舎が複数存在したことは古絵図等からも明らかで、真禅院はそうした僧坊の1つでありました。

南宮大社のレポートにもありますように関ケ原の戦いで南宮神社とともに焼失し、南宮神社の再建は江戸幕府3代将軍徳川家光により実施され、寛永19年(1642)に再建されました。
これが現存する南宮大社の社殿群であります、現存する真禅院の三重塔や本地堂も社殿と一連の造営になるもので、南宮神社境内の南方に建っていました。

明治になり神仏分離により、南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築しました。
明治4年(1871)までに移築が完了しましたが、神宮寺の寺名を引き続き名のることができず、移転当時に執行であった秀覚の自坊名真禅院へと改め、朝倉山真禅院として再出発した。(2回目の移転・寺名変更)

重要文化財として、国指定が本地堂(旧南宮大社本地堂)、三重塔、鐘楼の梵鐘、となっており三重塔等綺麗な立派な建物となっています。
岐阜県重要文化財として、鐘楼、鉄塔(北条政子の寄進と伝わる)、薬師堂の本尊の薬師如来があります。

小高い斜面の上にあり、遠く御嶽山・伊吹山の眺望も良いです、また春は桜、秋は紅葉の名所として人気があります。

JR東海線垂井駅下車、タクシーで約5~6分、徒歩約30分です。

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