
日吉神社
日吉神社に入るとまず重厚な三重塔に惹かれます。
国の重要文化財の三重塔は、収蔵庫にある重要文化財の十一面観音坐像・地蔵菩薩坐像、本殿前にある県重要有形民俗文化財の百八燈明台などとともに、現在も神仏習合の名残りをとめています。

室町時代後期の永正年間(1504年~1521年)に斎藤利綱(としつな、守護代斎藤家の一族、室町・戦国時代の武将、歌人)によって建立されたと伝えられています。
その後、天正13年(1585年)美濃三人衆の一人稲葉一鉄が修造したことが現存する棟札で知られています。
稲葉一鉄は、「頑固一徹」「一徹者」の語源になったとされている武将です。

日吉神社の由緒は、弘仁8年(817年)伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を通られた折、神戸(ごうど)の地に立ち寄られました。
当地の郡司・安八太夫安次は大師の教えに帰依し、それで大師は安次の懇請に応じて影向山(ようごうさん)神護寺善学院を建て、近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請、日吉信仰の社を創建されました。

その後40余年を経て、大師の弟子の慈覚大師(円仁)が伝教大師の足跡を慕って神戸の地に寄られ、日吉神社へ三柱の神を勧請されました。
伝教大師が四柱、慈覚大師が三柱、合わせて七柱の神々が勧請されて祀られ、今日まで山王七社として奉幣されてきました。
当時は神仏は一体であるという神仏習合説がとられました、この考え方により明治時代を迎え神仏分離令が出されるまで、善学院が神社の別当寺として運営に携わってきました。

各御祭神は日吉大宮・大己貴大神(おおなむちのおおかみ)、日吉二宮・大山昨大神(おおやまくいのおおかみ)、日吉宇佐宮・湍津姫大神(たきつひめのおおかみ)、日吉樹下宮・鴨玉依姫大神(かもたまよりひめのおおかみ)、日吉客人宮・白山姫大神(しらやまひめのおおかみ)、日吉牛尾宮・大山昨大神 荒魂(おおやまくいのおおかみ あらみたま)、日吉三宮・鴨玉依姫大神 荒魂(かもたまよりひめのおおかみ あらみたま)

そして一番賑わうのは、山王まつりです、5月3日(試楽)・4日(本楽)の例祭であります。
この祭りは、数多くの行事・儀式によりなっています、その中心は山王七社の七基の神輿の渡御であり、具体的には4日午前0時からの朝渡御と午後5時からの還御であります。
特に松明に囲まれた朝渡御は有名で「神戸の火祭り」とも言われています。

神輿の渡御の際には、絶対に止まらないで全力疾走し、走りながら途中で担ぎ手が替わるなど、他の祭りではあまり見られない特徴を持っています。

養老鉄道揖斐線広神戸駅徒歩約5分。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
コメントを残す