笠松町歴史未来館には、笠松町の歴史と文化・古くから伝わる伝統芸能や民具を後世に伝える展示活動や資料の収集・収蔵を行うとともに、企業・学校などの協力を得られて未来志向の展示があります。
笠松は寛文2年(1662)から幕末まで、江戸幕府の直轄地として郡代陣屋が置かれ、幕府支配の重要な位置にありました。
明治維新後には、明治6年(1873)まで笠松県庁・岐阜県庁が置かれた政治の中心地でもありました。
江戸時代からは木曽川の舟運の中継地として栄え、美濃・飛騨はもとより全国の物資の集積地として賑わいました。
美濃と尾張を結ぶ名古屋街道の往来人馬問屋を置く交通の要衝として発展してきました。
川湊を中心に商業で栄える町・綿織物業で栄える町でしたが、交通網や社会の変化によって大きく変貌しました。
現在は航空宇宙産業に携わる企業もあり、未来へのびゆく町として期待されます。
1998年8月に旧・東海銀行笠松支店の建物を利用して開館した笠松町歴史民俗資料館ができました。
笠松町歴史民俗資料館を2014年に閉館し、その跡地に建物を新築し2015年6月6日に開館、未来志向の展示スペースも設置し名称を笠松町歴史未来館に改称しました。
関ヶ原の戦いの後、江戸幕府は美濃を全国支配の要衝とみて陣屋を岐阜町に置き、卓越した理財と開発を持った代官は美濃を支配しました。
次を受け継いた代官は陣屋を揖斐そして可児徳野に移しました。
慶安3年(1650)美濃一帯を大洪水が襲い復旧工事のため、代官は笠町に休憩所を置き陣頭指揮にあたりました。
寛文2年(1662)当時の代官が陣屋を笠町に移し、名を笠松としました、以後陣屋は慶応4年(1873)明治政府に接収されるまで置かれました。
そして、笠松県庁・岐阜県庁として、美濃地方の政治の中心地と県庁が岐阜に移るまで役割を果たしました。
名古屋鉄道名古屋本線笠松駅より徒歩15分。

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