
今までのレポートで正法寺と言う名称が2回出て来ています、それは「しょうぼうじ」と読んでました、今回も「しょうぼうじ」と読むお寺です。
前回までは岐阜市中心部と南部にありました、今回は岐阜市北部の小野にあります。

真言宗古義派の寺院で、山号は五光山、古くは奈良時代に始まるとされてますが、何度か戦による火災に合いその歴史は途絶えているそうです、美濃四国56番札所。
天平17年(745)に光明皇后の発願により大慈山花光院観音洗寺として建立され、年月を経て小堂のみ残して廃絶同然の状態になったと伝えられています。

寛正6年(1465)美濃国守護土岐成頼(ときしげより)が妙心寺六祖雪江宗深和尚を開山として医王山正法寺として臨済宗妙心寺派の寺院に改めて、その後、妙心寺派が四派によって管理されるようになるとそのうち東海派の寺院となったそうです。

天文11年(1542)永禄5年(1562)の二度に渡って戦火をあび再び廃寺寸前となりましたが、黒野城主となった加藤貞泰により文禄3年(1594)に古義真言宗の五光山蓮華王院正法寺として復興を遂げたそうです。

以上の記載は本巣郡史を参考文献にしたものだそうですが、岐阜市西郷の郷土史には観音洗寺が荒廃して、その後寺院を斎藤利藤が土岐成頼と共に再興したとなっていて、その古い資料は斎藤利藤と斉藤妙椿が同一視されていた頃の様です、妙椿が当時の長良川の本流を通って船でこの場所に来ていた記述もあり、再興は土岐成頼と斉藤妙椿だとも思われてます。

斎藤妙椿と土岐成頼だと瑞龍寺(ずいりょうじ)に関連しそうですね、瑞龍寺は以前レポートしました。
境内には本堂のほか、観音堂、地蔵堂、三尺坊堂や弥陀堂があります、所蔵している涅槃図は優品として岐阜県の文化財に指定されています。

黒野小学校より西に500m位にあります。

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