
中山道大湫宿(おおくてじゅく)は中山道の47番目の宿場、美濃国土岐郡大湫村(岐阜県瑞浪市)にありました。
海抜510mの高地に設けられ、江戸へ90里半、京都へ43里半、美濃16宿の中で最も標高が高くそれだけ急坂がつづいており、旅人も人馬役からも難所とされていました。

慶長9年(1604年)に新設された宿場で、尾張藩領であり、皇女和宮親子内親王の宿泊地となりました。
記録によると尾張藩領の(1843年)人口は338人、家数66軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒あったそうです。

細久手宿から来ると、三差路の所に大湫宿の看板が有り近くに大湫宿の高札場があります。

高札場を過ぎ左手上には観音堂が有ります、道中安全・病気全快の観音様として知られ、宿内・近郷はもちろん旅人からも厚い信仰を受けて賑わってきた観音堂です。
ここ絵天井は、虎の絵で著名な岸駒に師事した画人三尾静(暁峰)の描いたものです、花鳥草木を主に60枚描かれており、出来も色彩もよく100年の歳月を感じさせない逸品だそうです。

中心部に向かうと神明神社があり、そこにはこの宿場のご神木と言われる樹齢1300年の神明の大杉が有ります。

しかし、2020年7月11日夜 何度も落雷に打たれながらも、強く立ち続けていた御神木の大杉が大雨の影響で倒れてしまいました。
倒れた方向にイチョウの木があり、そこにもたれながらゆっくりと倒れていったようです、人的被害もなく民家の一部をかすめましたが、被害の少ない絶妙な角度で倒れたように見えます。

「まさに神がかった倒れ方」と、皆が口を揃えて言う程、奇跡的に人的被害は無かったものの復興には莫大な費用がかかると予想されています。

大湫町大杉再生プロジェクトと言うものが発足して、クラウドファンディングなどで資金を募ってます(クラウドファンディングは、12/20了)

昔話で、大湫宿があった頃よりももっと昔のこと、この地区には沼地が多いのに良い水のわく泉がありませんでした。
飲み水に困った村人たちは神明様へ願をかけました、「どうか、良い水をください」と一心にお祈りをしました。

21日目の朝、社の前にそびえる杉のこずえから一匹のまっ白い蛇がおりてきて、杉の根本の石の間へ首をつっこむと腹の下からチョロチョロと水が流れ出しました。
村の人はおどりあがって喜びました、今も杉の根元から泉がこんこんとわきでています。

JR中央本線 釜戸駅から瑞浪市コミュニティバス釜戸=大湫線「大湫」バス停下車

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。
コメントを残す